50万元事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:56 UTC 版)
詳細は「50万元事件」を参照 昭和10年(1935年)1月23日の衆議院本会議で、政友会の山口義一が、昭和3年(1928年)に満洲軍閥の張学良が50万元を前奉天領事赤塚正助、政友会代議士鶴岡和文に献金し、この金が床次に渡っていたと追及した。これは、昭和6年(1931年、民国20年)に関東軍が起こした満洲事変で、関東軍が張作霖(学良の父で関東軍に暗殺された)の旧宅を捜索した際に、張学良の受領証を発見したことで明るみに出た。荒木貞夫陸相は、政治不介入を理由に非公開にしようとしたが、岡田内閣倒閣を狙う永田鉄山、田中清、片倉衷らによって、「皇国同志会」を名乗った怪文書として張からの献金が流布された。怪文書では、床次は献金の見返りに満蒙権益の放棄を約束した売国奴と糾弾された。山口は、この怪文書を根拠に質問したものである。岡田首相は、床次に関係の無いことだとして床次を擁護した。一方、張によると献金したことは事実で、齊世英(中国語: 齐世英)によると、1928年6月ごろ、連絡人を担当した小村俊三郎は床次の意をうけ、新党の設立のため中国側の蔣介石、張学良らの資金援助を申し入れた。総理の野心を持つ床次は、2000万元の献金を望み、まず手付け代わりに50万元を献金した。しかし、床次が民政党を離党し、総理の目が無くなったため、以降は献金を要求してこなかったのだという。
※この「50万元事件」の解説は、「床次竹二郎」の解説の一部です。
「50万元事件」を含む「床次竹二郎」の記事については、「床次竹二郎」の概要を参照ください。
- 50万元事件のページへのリンク