5号機の増設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 14:33 UTC 版)
5号機の増設申し入れの際にも、芦浜や珠洲に加え、清水石炭火力発電所計画までが、1992年(平成4年)2月に静岡県知事斉藤滋与史より反対を受け、他の立地点での発電所新設が進まない背景があった。そもそも、清水市への火力発電所設置は1989年(平成元年)に発表したもので、当時は浜岡への原子炉設置は4号機までとアナウンスされていた。しかし、清水市では市民運動による反対運動が発生し、静岡県の反対表明で計画は頓挫した。 反対表明された静岡県議会の4ヵ月後、地元に非公式に5号機の打診がなされた。中部電力幹部は「社長個人の考え」と述べたが、1992年12月に5号機計画が正式に地元申し入れされたと言う。日経産業新聞によれば、他に比較すると、本発電所での増設は容易であった。 また、中部電力は4号機までは原子炉を東芝、タービンなど発電系を日立に発注してきたが、日米貿易摩擦に伴う日米構造協議を反映し、アメリカ合衆国からの輸入を増やすため、ゼネラル・エレクトリックが受注する可能性も報じられた。なお、発表当時の総事業費は4500億円であった。結局、5号機についても日立などが受注した。
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