4年制への運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 20:45 UTC 版)
20年以上にわたって4年制大学移行運動を行ってきたが、2011年、県は4年制大学に移行させる方針を正式に決定、2014年を目途に4年制大学化することを表明した。 かつて田中康夫は知事在任中、既に信州大学を始め多くの国公私立大学が県内に存在し、少子化も進む中、新たな県立大学を設立するのは非現実的だと考え、「破綻寸前だった県財政の立て直しと、全国に先駆け小学校30人学級の全学年導入や障害児教育の充実の方が県民益に合致する」と表明。県政レベルでは積極的な取り組みも、目立った進展も見られなかった。 以降、短大側と同窓会「六鈴会」などが県や長野県議会に対し繰り返し4年制大学移行を陳情するという状態が続いていたが、村井仁知事は4年制大学移行を推進する姿勢を示し、2009年、県当局は長野県議会総務企画委員会において2009年度中に一定の判断を示したい、との答弁を行った。これを受け翌2010年2月、「長野県短期大学の将来構想に関する検討会」を設置し具体的な検討に入り、アンケート調査などを実施するとともに4年制大学への移行を推進する方向で議論が進められた。村井仁知事の後を継いだ阿部守一知事は早期に結論を出す方針を示し、2011年、第8回検討会において「長野県高等教育充実のため4年制大学化が必要」との報告書がまとめられた。これを受けて阿部知事が4年制大学移行、2014年を目途に4年制大学を開学する方針を表明した。
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