3号機計画時の懸念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 14:33 UTC 版)
「浜岡原子力発電所」の記事における「3号機計画時の懸念」の解説
東海地震の想定や敷地内のリニアメントについて、問題として取り上げられるようになったのは、本発電所が運転を開始して間もない、大規模地震対策特別措置法施行の頃からである。同法施行直後に3号機の増設計画はまとめられ、1978年12月18日に設置変更許可申請書を提出したが、審査書類の再提出を求められて、活断層調査などの記述を大幅に追加して、1980年12月に再提出した。その際、藤井陽一郎(当時筑波大学理学部教授)などから、「中部電力は、従来の検討の不十分さを実際上は認め、部分的には新しい知識を取り入れながらも、いろいろと言いわけをした」などと、業界誌である『原子力工業』の記事でも批判されていた。この時点で、発電所敷地内に断層破砕帯が存在する点が既に憂慮の対象となっており、再提出された設置許可申請でもH断層系として一部が呼称を与えられている。このH断層系は1 - 3号機の建屋をかすめている。この件は静岡大学助教授(当時)の小村浩夫が1981年7月に発表した論文で紹介され、原発から8km以内周辺には8本の活断層が知られており、ほかに3本のリニアメント(活断層の疑いがある)があるが、そのうち2本が原発敷地内を走っている。 また、当時柏崎刈羽原子力発電所でボーリングデータ改竄が指摘されていたが、伊藤通玄(当時静岡大学教養部)も申請書を精読した結果、弾性波のデータが不自然にバラツキがなく、その疑いを表明していた。
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