203高地への主攻変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:00 UTC 版)
「旅順攻囲戦」の記事における「203高地への主攻変更」の解説
11月27日未明、乃木は当初の攻撃計画が頓挫したことで攻撃目標を要塞正面から203高地に変更することを考え、敵味方を兵員消耗戦に持ち込む決心をした。第三軍参謀の白井二郎少佐は第1師団に203高地攻撃を打診したところ快諾を得た。満州軍司令部より派遣されていた福島安正少将はこの意見に反対を述べ、あくまでも要塞東北方面攻撃を主張したが、乃木の判断で203高地への本格的な攻撃が決定される。 午前10時、軍命令で東北方面攻撃の一時中止と第1師団を中核とした203高地攻撃を行うことが下達、午後5時には大本営と満州軍総司令部にそのような主旨の報告を行う。指示を受けた攻城砲兵司令部は直ちに砲撃を203高地に変更し、28センチ榴弾砲全砲をもって砲撃を開始した。砲兵第2旅団は203高地攻撃に際して妨害攻撃をするであろう敵の各砲台への砲撃を開始した。対するロシア軍は203高地に500余名、その北東の老虎溝山(標高177m)に千名の兵を配し、万全の体制をとっていた。
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