2012 - 2016年
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2012年1月4日、「レッスルキングダムVI」でBAD INTENTIONS(ジャイアント・バーナード、カール・アンダーソン組)の保持するIWGPタッグ王座に挑戦。天山がバーナードからピンフォール勝ちを収め、第58代王者に輝く。その後、上半期では矢野通、飯塚高史組と、下半期ではK.E.S.(ランス・アーチャー、デイビーボーイ・スミスJr.組)と同王座を賭けた抗争を展開する。12月9日にはプロレスリング・ノアに参戦し、森嶋猛の保持するGHCヘビー級王座に挑戦したが、奪取には至らなかった。 2013年に入ると新たにタッグ王者となったK.E.S.、矢野、飯塚組、マッスルオーケストラ(中西学、ストロングマン組)を交え、IWGPタッグ王座を巡った抗争を繰り広げる。5月3日福岡大会で4WAYタッグマッチで対戦し、小島がストロングマンから勝利を収め、第62代王者組に戴冠。その後、6月22日の3WAYマッチでK.E.S.を退け、7月20日には矢野、飯塚組を下し、一連の抗争に終止符を打つ。 8月、G1 CLIMAXでは最終日を待たずして予選落ちが決定するが、11日の最終戦でオカダ・カズチカから勝利を収め、IWGPヘビー級王座への挑戦をアピールし、9月の神戸大会で挑戦するも、ベルト奪取はならなかった。 2014年1月4日、WRESTLE KINGDOM 8 in 東京ドームにてNWA世界ヘビー級王座を保持するロブ・コンウェイとリベンジマッチを行い、コンウェイによる姑息な手段に手を焼いていたところを天山のヘルプにより試合は一転、最後にはコンウェイのフィニッシャーであるエゴ・トリップを防いだところをラリアットを2発放ち圧倒。リベンジを果たすと共に第125代NWA世界ヘビー級王者になった。 10月13日、両国大会でテンコジのタッグでランス・アーチャー、デイビーボーイスミスJr.のKESとNWA世界タッグの5度目の防衛戦に挑むが、小島のラリアットが天山に誤爆し、小島がKESのキラーボムに沈み、同王座から陥落した。 2016年3月19日、愛知県体育館大会にて柴田勝頼の持つNEVER無差別級王座に初挑戦するも敗北。 6月27日の後楽園ホール大会において、G1クライマックス26の出場選手発表で小島が出場することがアナウンスされたが、この時出場選手一覧に名前がなかった天山が自身が出場できないことに激怒。7月3日、岩手大会においてマット・サイダル、リコシェとともにケニー・オメガ、マット・ジャクソン、ニック・ジャクソン組の持つNEVER無差別級6人タッグ王座に挑戦、奪取に成功したその試合後、G1出場を諦め切れない天山を小島は呼び出し、自ら出場を辞退し天山に出場枠を譲る事をリング上で伝えた。これを受け、翌4日に小島に変わって天山がG1に出場することが正式に発表された。
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