2008年 - 2011年:クリエイター”ハチ”として
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ニコニコ動画で平沢進の存在を知り、創作に強い影響を受ける。パソコンの新調を機にDTMを始め、「ハチ」という名義で約30曲程度の本人歌唱のオリジナル曲をニコニコ動画などにて発表したが、しばらくしてすべて削除している。これは、楽曲に自身が影響されたものが色濃く反映されすぎていることが理由として挙げられている。また、「ハチ」としての活動の前に「ミナソコ」という名義で活動を行っていた。この時にはゲーム実況なども行っている。徳島県立徳島商業高等学校を卒業後、大阪芸大付属大阪美術専門学校に通いながら「Ernst Eckmann」というバンドでも活動を行う。このときはベースとボーカルを担当していた。 2009年より、バンド活動と平行して、VOCALOIDを使用したボカロ曲の制作を始める。5月にはニコニコ動画にて、初音ミクを用いた処女作「お姫様は電子音で眠る」を発表。「沙上の夢喰い少女」を発表した2010年5月3日よりサークル「南方研究所」にメンバーとして参加し、同年自主制作アルバム『花束と水葬』『OFFICIAL ORANGE』を発表(両作とも2013年に全国流通盤が発売された)。2011年までに「結ンデ開イテ羅刹ト骸」「マトリョシカ」「パンダヒーロー」を初めとする、ミリオン再生を記録したヒット曲を発表した。また、この時期自身のブログ「電子帖八番街」(当時の名称)で「WebMoney Award 2009」の「enjoy. Award 2009 ダイヤモンド賞」を受賞。
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