2008年のデジタルアーカイブの没収
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「メモリアル (人権団体)」の記事における「2008年のデジタルアーカイブの没収」の解説
2008年12月4日にメモリアルのサンクトペテルブルク事務所が当局の家宅捜索を受けた。家宅捜索によって20年分の研究成果を収めたハードディスク11枚が押収され、そこに収められた情報は「何十万もの名前を持つ、誰もがアクセスできるデータベース」を開発するために使われていた。ディレクターのイリーナ・フリゲは、メモリアルがプーチニズムの間違った側、特に「スターリンとソビエト政権が偉大な国を作ることに成功したという」考えからターゲットにされていると考えていた。 この襲撃はノヴィ・ペテルブルク紙の2007年6月号に載った外国人嫌悪の記事に関連しているとされたが、メモリアルは出版物との関連性を否定した。ロシアの一部の人権派弁護士は、サンクトペテルブルク・メモリアルが2006年にイギリスでロシアの元スパイ、アレクサンドル・リトビネンコ殺害に関して発禁された映画『リベリオン―リトビネンコ事件』(2007)を上映したことに対する報復だと推測している。 モスクワのヒューマン・ライツ・ウォッチのディレクターであるアリソン・ギルは、「この非道な警察の捜索はロシアにおける非政府組織に対する有毒な風潮を示している(中略)これは批判的な声を黙らせようとする(中略)ロシア政府によるあからさまな挑戦だ」と述べた。世界中の学者たちがディスクと資料の押収を非難する当時のドミートリー・メドヴェージェフ大統領への公開書簡に署名した。アメリカもこの捜索について「深く懸念する」と表明した。国務省のショーン・マコーマック報道官は「残念ながら、メモリアルに対するこの行動は、ロシアにおける結社と表現の自由に対する圧力の孤立した例ではない」と述べた。 2009年3月20日、市のジェルジンスキー地方裁判所は、2008年12月の12台のハードディスクの捜索と没収は手続き違反であり、法執行機関の行動は違法であると判決を下した。 結局、2009年に12のHDDと光学ディスクと書類の一部はメモリアルに返還された。
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