2代目・外白渡橋 (1907年-現在)
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木製の橋は1906年に取り壊され、路面電車と自動車を通せる新しい鉄製の橋が建設された。この橋は共同租界工部局の監督の下で建てられ、イギリスから鋼材が輸入された。この2代目「外白渡橋」(ガーデン・ブリッジ)はシンガポールにあるイギリスの会社 Howarth Erskine Ltd. が設計した。前年にジンバブエ・ザンベジ川にヴィクトリア・フォールズ橋を建てた英ダラム・ダーリントンの会社 Cleveland Bridge & Engineering Company Co. Ltd. が建設工事責任者となり、工事は1906年8月4日に開始された。橋は1907年12月29日に完成した。橋が1908年1月20日に開通した時、「中国で最も頑丈な建造物」と言われた。橋は上海で最も大きな鉄橋であり、中国で初めて建てられた鉄製トラス橋であり、同国に現存する唯一のパーカートラス橋である。この橋は「全長104.39メートル、幅は車道が11.20メートル、両側の歩道がそれぞれ2.9メートルあった。川面からの橋の高さは引潮時に5.57メートル、満潮時に3.25メートルだった」。橋の重量は900トンだった。 クランリーによると、「共同租界工部局は中国側も橋の建設に出資するよう道台に要請したが、道台はこれを断った。しかし共同租界の地方税納付者たちが費用を負担したため、1870年代から呉淞江を無料で渡っていた中国人たちは、引き続き無料で新しい橋を渡れるようになった(租界の住人の多くは富裕な中国人であり、彼らは税は払っていたものの1920年代まで共同租界工部局での代表権が無かった)。
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