2人バンド-ダイナマイトオレンジ時代
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「AMEMIYA」の記事における「2人バンド-ダイナマイトオレンジ時代」の解説
ワタナベエンターテインメントを辞めた後は、かねてより興味のあった音楽の道へと進むこととなる。ちょうどその頃、高校時代に曲作りの楽しさを教えてくれた友人が仕事に迷いを持っていた時期でもあったため、彼を誘い「2人バンド」というバンドを組み正式に音楽活動を始める。当時の芸名は「アメロック」であった。 程なく小さな会場を借り初のワンマンライブを開催すると、ノンストップバス時代のファンが足を運んでくれたこともあり約80人以上が集まった。それに気を良くして開催した2回目は30人に減り、それでも懲りずに開催した3回目はわずか3人しか集まらなかった。3回目はあまりの少なさに開演を30分遅らせてみたものの、そのために2人が帰ってしまい結局1人しか残らなかったという。 しかしその後、ノンストップバスを知る関係者の手引きもあり、爆笑オンエアバトルの音楽編である『熱唱オンエアバトル』(NHK G)に出場の機会を得る。オンエアを勝ち取り史上初となる「オンバトシリーズ」両方の出演を果たしたものの、開始の合図と同時に演奏せねばならぬルールを無視し歌の直前にトークを挟み3笑い位とってから開始したため、ディレクターに「調子に乗ってるのか!」と首根っこを引っ掴まれて激怒され、その後この番組には二度と呼ばれなかったという。 以降メンバーを増やしバンド名を「ダイナマイトオレンジ」と改め、マネージャー兼フロントマン兼エンターテイナー兼ボーカルとしてその一切を取り仕切るもライブをやる度に借金が嵩み、その借金を返済するためにバイト漬けの生活を送らねばならず音楽活動はなかなか日の目を見ることがなかった。それでも一時は芸能事務所に所属したこともあり、舞台の主題歌や挿入歌を担当したこともあったが、メンバーの不慮の事故、脱退などを経て、2009年末には6年間続いたバンド活動にも終止符が打たれることとなる。
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