2人バンド-ダイナマイトオレンジ時代とは? わかりやすく解説

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2人バンド-ダイナマイトオレンジ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 15:04 UTC 版)

AMEMIYA」の記事における「2人バンド-ダイナマイトオレンジ時代」の解説

ワタナベエンターテインメント辞めた後は、かねてより興味のあった音楽の道へと進むこととなる。ちょうどその頃高校時代曲作り楽しさ教えてくれた友人仕事迷い持っていた時期でもあったため、彼を誘い2人バンド」というバンド組み正式に音楽活動始める。当時芸名は「アメロックであった程なく小さな会場借り初のワンマンライブ開催すると、ノンストップバス時代ファン足を運んでくれたこともあり約80人以上が集まった。それに気を良くして開催した2回目30人減り、それでも懲りずに開催した3回目はわずか3人しか集まらなかった。3回目はあまりの少なさ開演30遅らせてみたものの、そのために2人帰ってしまい結局1人しか残らなかったという。 しかしその後ノンストップバスを知る関係者の手引きもあり、爆笑オンエアバトル音楽編である『熱唱オンエアバトル』(NHK G)に出場機会を得る。オンエア勝ち取り史上初となる「オンバトシリーズ」両方出演果たしたものの、開始合図同時に演奏ねばならぬルール無視し歌の直前トーク挟み3笑い位とってから開始したため、ディレクターに「調子に乗ってるのか!」と首根っこ引っ掴まれて激怒され、その後この番組には二度と呼ばれなかったという。 以降メンバー増やしバンド名を「ダイナマイトオレンジ」と改めマネージャーフロントマンエンターテイナーボーカルとしてその一切取り仕切るライブをやる度に借金嵩み、その借金返済するためにバイト漬けの生活を送らねばならず音楽活動はなかなか日の目を見ることがなかった。それでも一時芸能事務所所属したこともあり、舞台主題歌挿入歌担当したこともあったが、メンバー不慮の事故脱退などを経て2009年末には6年続いたバンド活動にも終止符打たれることとなる。

※この「2人バンド-ダイナマイトオレンジ時代」の解説は、「AMEMIYA」の解説の一部です。
「2人バンド-ダイナマイトオレンジ時代」を含む「AMEMIYA」の記事については、「AMEMIYA」の概要を参照ください。

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