2つの神託とは? わかりやすく解説

2つの神託

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:55 UTC 版)

宇佐八幡宮神託事件」の記事における「2つの神託」の解説

神護景雲3年769年5月道鏡の弟で大宰帥弓削浄人大宰主神の習宜阿曾麻呂が「道鏡皇位につかせたならば天下泰平である」という内容宇佐八幡宮神託奏上し道鏡は自ら皇位に就くことを望む。称徳天皇宇佐八幡から法均和気広虫)の派遣求められ虚弱な法均長旅堪えられぬとして、弟である和気清麻呂派遣した和気清麻呂宇佐八幡宮大宮司復した大神麻呂による託宣受けた清麻呂天皇勅使として8月宇佐神宮参宮宝物奉り宣命の文を読もうとした時、神が禰宜の辛嶋勝与曽女(からしまのすぐりよそめ)に託宣宣命訊くことを拒む清麻呂不審抱き改めて与曽女に宣命訊くことを願い出る。与曽女が再び神に顕現を願うと、身の丈三丈、およそ9mの僧形大神出現大神再度宣命訊くことを拒むが、清麻呂は「わが国開闢このかた君臣のこと定まれり。臣をもて君とする、いまだこれあらず。天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ無道の人はよろしく早く掃除すべし」という大神神託大和持ち帰り奏上する道鏡天皇就けたがっていたと言われる称徳天皇報告聞いて怒り清麻呂因幡員外介に左遷したのち、さらに「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名させて大隅国配流し、姉の広も「別部広虫売(わけべのひろむしめ)」と改名させられて(狭(さむし せまむし)と改名させられたという説もある)処罰された。 10月1日には詔を発し皇族諸臣に対して聖武天皇言葉引用して妄りに皇位求めてならない事、次期皇位継承者聖武天皇意向によって称徳天皇自らが決める事を改め表明する

※この「2つの神託」の解説は、「宇佐八幡宮神託事件」の解説の一部です。
「2つの神託」を含む「宇佐八幡宮神託事件」の記事については、「宇佐八幡宮神託事件」の概要を参照ください。

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