2つの教会会議、正統信仰の確立
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「イシドールス」の記事における「2つの教会会議、正統信仰の確立」の解説
618年あるいは619年の11月13日にシセブト王統治下のセビリャで教会会議(第2回セビリャ教会会議)が開かれ、この会議にはヒスパニアの司教だけでなく、ガリアとナルボンヌの司教も出席した。この会議の決定によって、アリウス派は決定的に排除された。 633年12月5日に開始された第4回トレド教会会議には、ヒスパニアのすべての司教が出席していた。 この会議は数年にわたって続くが、その間イシドールスは審議を主宰し、大部分の決定は彼の主唱によるものであった。この教会会議はイシドールスの精確で忍耐強い精神と影響力によって、実現したといってよい。さらに、この教会会議で王が占めた位置は注目に値する。教会は完全に独立で自由であるとされ、一方で王への忠誠によって縛られると定められたが、ここには教会の管轄について、ローマ教皇へのいかなる言及もないのである。またイシドールスの発意によって、セビリャの聖堂学校に倣う形で、ヒスパニア内のすべての大聖堂に神学校設立を命じる法令が出された。イシドールスはゴート族の野蛮な習慣の広まりを、教育によって食い止めようとしたのである。彼の熱意によって、セビリャでは学芸が盛んになり、この時代の啓蒙運動の中心となった。七自由学科のほかにギリシア語とヘブライ語の学科も設けられ、法学と医学についても関心が寄せられるようになった。すべての司教はこの教会会議で定められた教育の方針を義務づけられた。
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