1971年モナコグランプリとは? わかりやすく解説

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1971年モナコグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/09 20:49 UTC 版)

座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度 / 43.7346500; 7.421333

 1971年モナコグランプリ
レース詳細
1971年F1世界選手権全11戦の第3戦
日程 1971年5月23日
正式名称 XXIX Grand Prix de Monaco
開催地 モンテカルロ市街地コース
モナコ モンテカルロ
コース 市街地コース
コース長 3.145 km (1.954 mi)
レース距離 80周 251.600 km (156.337 mi)
決勝日天候 曇(ドライ)[1]
ポールポジション
ドライバー ティレル-フォード
タイム 1:23.2
ファステストラップ
ドライバー ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード
タイム 1:22.2(ラップレコード) (57周目)
決勝順位
優勝 ティレル-フォード
2位 マーチ-フォード
3位 フェラーリ

1971年モナコグランプリ (1971 Monaco Grand Prix) は、1971年のF1世界選手権第3戦として、1971年5月23日モンテカルロ市街地コースで開催された。

1950年から始まったF1世界選手権の通算200戦目のレースである[2]

レース前

BRDCインターナショナル・トロフィーを制したグラハム・ヒルブラバム・BT34(同年のレース・オブ・チャンピオンズ英語版にて)

前戦スペインGPから5週間空き、その間の5月8日シルバーストン・サーキットで非選手権レースのBRDCインターナショナル・トロフィー英語版が開催された。F5000との混走で行われたレースはブラバムの新車BT34を駆るグラハム・ヒルが優勝した。このレースは2ヒート制[注 1]で行われ、前戦スペインGPを制したジャッキー・スチュワートは第1ヒートで1位となったが、第2ヒートのスタート直後にスロットルがスタックしてしまい、第1コーナーでクラッシュした[3]

エントリー

フェラーリは熟成を続けていた新車312B2をデビューさせた。ロータス72Cのリアサスペンションを再設計した72Dをエマーソン・フィッティパルディに与えた。マーチアルファロメオエンジン搭載車を駆るドライバーをアンドレア・デ・アダミッチからナンニ・ギャリに変更した[4]Can-Amドライバーのスキップ・バーバー英語版[注 2]は、ジーン・メイソン・レーシングからマーチ・711で参戦する[5][4]

エントリーリスト

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
ゴールドリーフ・チーム・ロータス 1 エマーソン・フィッティパルディ ロータス 72D フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
2 レイネ・ウィセル 72C
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 4 ジャッキー・イクス フェラーリ 312B2 フェラーリ 001/1 3.0L F12 F
5 クレイ・レガツォーニ
6 マリオ・アンドレッティ 312B フェラーリ 001 3.0L F12
モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド 7 グラハム・ヒル ブラバム BT34 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
8 ティム・シェンケン BT33
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 9 デニス・ハルム マクラーレン M19A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
10 ピーター・ゲシン M14A
エルフ・チーム・ティレル 11 ジャッキー・スチュワート ティレル 003 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
12 フランソワ・セベール 002
ヤードレー・チーム・BRM 14 ジョー・シフェール BRM P160 BRM P142 3.0L V12 F
15 ペドロ・ロドリゲス
16 ハウデン・ガンレイ P153
STP・マーチ・レーシングチーム 17 ロニー・ピーターソン マーチ 711 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
18 アレックス・ソラー=ロイグ
19 ナンニ・ギャリ アルファロメオ T33 3.0L V8
エキップ・マトラ・スポール 20 クリス・エイモン マトラ MS120B マトラ MS71 3.0L V12 G
21 ジャン=ピエール・ベルトワーズ
ブルックボンド・オクソ・チーム・サーティース 22 ジョン・サーティース サーティース TS9 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
アウト・モトール・ウント・シュポルト・チーム・サーティース 24 ロルフ・シュトメレン
クラーク=モーダウント=ガスリー・レーシング 25 マイク・ボイトラー 1 マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 26 デレック・ベル 2 マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
27 アンリ・ペスカロロ 711
ジーン・メイソン・レーシング 28 スキップ・バーバー マーチ 711 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
ソース:[6]
追記
  • ^1 - マシンが準備できず欠場[7]
  • ^2 - エントリーのみ[7]

予選

主催者は決勝に進出できる台数を前年までの16台から18台に増やし、特定のチームやドライバーに対して決勝への進出を保証する複雑なシステムを廃止することにした。これにより、参加した23台のうち最速の18台が決勝に進出できることになった[3]

予選は木曜午後(1時間半)、金曜早朝(1時間)、土曜午後(1時間半)の3回行われたが、木曜と土曜は雨に見舞われたため、タイムアタックができたのは2回目の金曜だけであった。これで割を食う形となったのはフェラーリマリオ・アンドレッティで、金曜に燃料噴射装置の故障でストップし、土曜は雨によりタイムアップできず、あえなく予選落ちとなってしまった。アンドレッティは失意のうちに掛け持ちで参加していたインディ500英語版のためにそのままアメリカへ帰っていった[8]

ジャッキー・スチュワートが前年にヨッヘン・リントが記録したコースレコードを更新し[2]、2番手のジャッキー・イクスに1.2秒差でポールポジションを獲得した。ジョー・シフェールクリス・エイモンが2列目、デニス・ハルムペドロ・ロドリゲスが3列目を占めた。ロータス勢はレイネ・ウィセルが11番手、エマーソン・フィッティパルディは最後列の17番手に沈んだ[3]

予選結果

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 11 ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 1:23.2 - 1
2 4 ジャッキー・イクス フェラーリ 1:24.4 +1.2 2
3 14 ジョー・シフェール BRM 1:24.8 +1.6 3
4 20 クリス・エイモン マトラ 1:24.8 +1.6 4
5 15 ペドロ・ロドリゲス BRM 1:25.1 +1.9 5
6 9 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:25.3 +2.1 6
7 21 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 1:25.6 +2.4 7
8 17 ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 1:25.8 +2.6 8
9 7 グラハム・ヒル ブラバム-フォード 1:26.0 +2.8 9
10 22 ジョン・サーティース サーティース-フォード 1:26.0 +2.8 10
11 5 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 1:26.1 +2.9 11
12 2 レイネ・ウィセル ロータス-フォード 1:26.7 +3.5 12
13 27 アンリ・ペスカロロ マーチ-フォード 1:26.7 +3.5 13
14 10 ピーター・ゲシン マクラーレン-フォード 1:26.9 +3.7 14
15 12 フランソワ・セベール ティレル-フォード 1:27.2 +4.0 15
16 24 ロルフ・シュトメレン サーティース-フォード 1:27.2 +4.0 16
17 1 エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 1:27.7 +4.5 17
18 8 ティム・シェンケン ブラバム-フォード 1:28.3 +5.1 18
19 16 ハウデン・ガンレイ BRM 1:28.8 +5.6 DNQ
20 6 マリオ・アンドレッティ フェラーリ 1:29.1 +5.9 DNQ
21 19 ナンニ・ギャリ マーチ-アルファロメオ 1:34.6 +11.4 DNQ
22 18 アレックス・ソラー=ロイグ マーチ-フォード 1:44.4 +21.2 DNQ
23 28 スキップ・バーバー マーチ-フォード 2:48.6 +1:25.4 DNQ
ソース:[9][10][11]
追記
  • 上位18台が決勝進出

決勝

レース当日は10万人の観客が押しかけて好天に恵まれたが、雨が降る予報が出ていた[8]

スタート寸前にクリス・エイモンが燃圧低下のため動けず、メカニックがコースに飛び出てマシンをコース脇に押しやった。スターターを務める競技長のルイ・シロンはこの時も名物であった指折りによるカウントダウンを続けたため、危うく轢かれるところであった。シロンは72歳と高齢であったため、翌年から競技長はポール・フレールに交代した。クレイ・レガツォーニもスタート寸前に消火器が誤作動してしまい、一騒動となった[12]

エイモンとレガツォーニを含め18台が無事スタートし、好スタートを切ったジョー・シフェールがサン・デボーテの丘を駆け上がるまでにジャッキー・スチュワートジャッキー・イクスの間に割って入った。過去5回モナコGPを制したグラハム・ヒルは、2周目にタバココーナーでミスを犯してクラッシュした[12]

スチュワートはコックピットに漏れる煙に苦しんだが、シフェールとイクスを引き離していく。8番手スタートのロニー・ピーターソンは1周目に5位に順位を上げ、7周目に5位のデニス・ハルムに一旦抜かれるも9周目にハルムを抜き返した。13周目にはロドリゲスも抜いて4位に浮上する。ロドリゲスは抜かれた際にタイヤにフラットスポットを作ってしまい、ピットへ直行していった。さらにピーターソンはペースを上げ、2位を争うシフェールとイクスを追う。そして30周目にイクスを、31周目にシフェールを抜いて2位に浮上し、観客から拍手が沸き起こった。レースの前半を終えた40周目の時点で、首位スチュワートとピーターソンの差は18秒となり、ピットからのサインでピーターソンの猛追を知ったスチュワートはペースを上げて30秒まで差を広げ、追走するピーターソンもさすがに逆転は厳しくなった。レース終盤に雨が降り出したが、差を25秒に縮めるのが精一杯であった[8]。スチュワートは1度も首位の座を譲らず、自身が記録したポールポジションのタイムを1秒上回る1分22秒2でファステストラップも記録し[12]1969年フランスGP以来2度目のグランドスラム[注 3][4][13]で完勝した。また、1966年以来2度目のモナコGP制覇を成し遂げた。ピーターソンは初入賞が初表彰台となり、一躍スターの座に躍り出た[2]。以下、イクス、ハルム、エマーソン・フィッティパルディロルフ・シュトメレンが入賞した。シュトメレンはチームメイトでオーナーのジョン・サーティースと終始接近戦を演じた末での6位入賞であった[12]

イギリスのロックバンドであるザ・フーは、「ババ・オライリィ(Baba O'Riley)」のミュージック・ビデオに本レースの一部を使用し、優勝したスチュワートを映している。ロマン・ポランスキー監督が制作した英仏共作映画「ウィークエンド・チャンピオン~モンテカルロ1971英語版」は、本レースの期間中スチュワートに密着したドキュメンタリーである。本レースの模様は日本でも2ヶ月遅れの7月15日NETテレビの「ビッグスポーツ」で1時間に渡って放送された[注 4]。同年の12月19日にも再放送されている[12]

レース結果

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 11 ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 80 1:52:21.3 1 9
2 17 ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 80 +25.6 6 6
3 4 ジャッキー・イクス フェラーリ 80 +53.3 2 4
4 9 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 80 +1:06.7 8 3
5 1 エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 79 +1 Lap 17 2
6 24 ロルフ・シュトメレン サーティース-フォード 79 +1 Lap 16 1
7 22 ジョン・サーティース サーティース-フォード 79 +1 Lap 10
8 27 アンリ・ペスカロロ マーチ-フォード 77 +3 Laps 13
9 15 ペドロ・ロドリゲス BRM 76 +4 Laps 5
10 8 ティム・シェンケン ブラバム-フォード 76 +4 Laps 18
Ret 14 ジョー・シフェール BRM 58 オイルパイプ 3
Ret 21 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 47 ディファレンシャル 7
Ret 20 クリス・エイモン マトラ 45 ディファレンシャル 4
Ret 5 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 24 アクシデント 11
Ret 10 ピーター・ゲシン マクラーレン-フォード 22 アクシデント 14
Ret 2 レイネ・ウィセル ロータス-フォード 21 ホイールベアリング 12
Ret 12 フランソワ・セベール ティレル-フォード 5 アクシデント 15
Ret 7 グラハム・ヒル ブラバム-フォード 1 アクシデント 9
DNQ 16 ハウデン・ガンレイ BRM 予選不通過
DNQ 6 マリオ・アンドレッティ フェラーリ 予選不通過
DNQ 19 ナンニ・ギャリ マーチ-アルファロメオ 予選不通過
DNQ 18 アレックス・ソラー=ロイグ マーチ-フォード 予選不通過
DNQ 28 スキップ・バーバー マーチ-フォード 予選不通過
ソース:[14]
優勝者ジャッキー・スチュワートの平均速度[7]
134.360 km/h (83.487 mph)
ファステストラップ[15]
ラップリーダー[16]
太字は最多ラップリーダー
達成された主な記録

第3戦終了時点のランキング

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 1つのレースを2回に分け、2回の合計タイムで順位を決定する。
  2. ^ 後に「スキップ・バーバー・レーシングスクール英語版」を設立した。
  3. ^ 1つのレースでポールポジション、ファステストラップ、優勝、全周回ラップリーダーを達成すること。詳細は当該項目を参照。
  4. ^ 日本で1分程度のダイジェスト映像がテレビで放送されたことは過去にも何度かあったが、1時間に渡って放送されたのはこれが初めてと見られる。

出典

  1. ^ (林信次 1993, p. 114)
  2. ^ a b c d (林信次 2019, p. 48)
  3. ^ a b c Monaco GP, 1971”. grandprix.com. 2020年1月25日閲覧。
  4. ^ a b c d Monaco 1971”. STATS F1. 2020年1月25日閲覧。
  5. ^ (林信次 1993, p. 27)
  6. ^ Monaco 1971 - Race entrants”. STATS F1. 2020年1月26日閲覧。
  7. ^ a b c Monaco 1971 - Result”. STATS F1. 2020年1月26日閲覧。
  8. ^ a b c (林信次 2019, p. 49)
  9. ^ Pritchard, Anthony (1972). The Motor Racing Year No3. ISBN 0393085023 
  10. ^ Monaco 1971 - Qualifications”. STATS F1. 2020年1月25日閲覧。
  11. ^ Monaco 1971 - Starting grid”. STATS F1. 2020年1月25日閲覧。
  12. ^ a b c d e (林信次 2019, p. 50)
  13. ^ a b F1 Grand Chelem/Grand Slams Records (2017年イギリスGP終了時点)”. Sportskeeda. 2020年1月26日閲覧。
  14. ^ 1971 Monaco Grand Prix”. formula1.com. 2013年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月22日閲覧。
  15. ^ Monaco 1971 - Best laps”. STATS F1. 2020年1月26日閲覧。
  16. ^ Monaco 1971 - Laps led”. STATS F1. 2020年1月26日閲覧。
  17. ^ 戦績:S.バーバー”. F1 DataWeb. 2020年1月26日閲覧。
  18. ^ a b Monaco 1971 - Championship”. STATS F1. 2019年3月19日閲覧。

参照文献

  • Wikipedia英語版 - en:1971 Monaco Grand Prix(2019年11月18日 9:08:52(UTC))
  • 林信次「「1000GPの記憶」200th 1971年第3戦モナコGP」『F1速報 2019年モナコGP&インディ500特別編集号』、株式会社三栄、2019年5月30日、 48-50頁、2020年1月25日閲覧。
  • 林信次 『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版、1993年。 ISBN 4-938495-05-8 

外部リンク

前戦
1971年スペイングランプリ
FIA F1世界選手権
1971年シーズン
次戦
1971年オランダグランプリ
前回開催
1970年モナコグランプリ
モナコグランプリ 次回開催
1972年モナコグランプリ


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