1956–57 NBA seasonとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 1956–57 NBA seasonの意味・解説 

1956-1957シーズンのNBA

(1956–57 NBA season から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/13 02:45 UTC 版)

1956-1957シーズンのNBA
ボストン・セルティックス 
期間 1956年10月27日-1957年4月13日
TV 放送 NBC
観客動員数 1,199,217人
ドラフト
レギュラーシーズン
トップシード ボストン・セルティックス
MVP ボブ・クージー
スタッツリーダー  
  得点 ニール・ジョンストン
プレーオフ
 イースタン  優勝 ボストン・セルティックス
   シラキュース・ナショナルズ
ファイナル
 チャンピオン  ボストン・セルティックス
<1955-56

1956-1957シーズンのNBAは、NBAの11回目のシーズンである。シーズンは1956年10月27日に始まり、1957年4月13日に全日程が終了した。

ラッセルの登場と王朝の幕開け

華やかな「ノールックパス」など、ポイントガードというポジションにおいて革新的な技術をもたらし、4年連続アシスト王を獲得しているボブ・クージーに、正確なシュートを武器に4年連続フリースロー成功率1位に輝いたビル・シャーマンと、バックコートに豪華な陣容を揃えたボストン・セルティックスはプレーオフ常連となっていはいたが、どうしても優勝には手が届かなかった。優勝のための最後のピースを探していたレッド・アワーバックHCに、大学のコーチであるビル・ラインハルトがある選手を紹介した。その選手は208cmという長身ながら、例外的な身体能力を持っており、440ヤード(約402m)を49秒で駆け抜けることができた。コート上ではリバウンドで無類の強さを誇り、さらに彼のブロックショットはチームメイトの得点シーンさえ演出した。アワーバックはこのビル・ラッセルこそが「究極のチームプレイヤー」と確信した。

しかしドラフトでは前季の勝率下位チームから指名できるため、セルティックスがラッセルを指名できる確率は低かった。そこでアワーバックは一計を案じ、2位指名権を持つセントルイス・ホークスにラッセルを指名してもらい、後日セルティックスはエド・マコーレークリフ・ハーガン2名とトレードしたのである。ラッセルのセルティックス入団は、後に前人未到の記録を達成するセルティックス王朝の幕開けだった。またラッセルは黒人選手初のスター選手となる。

全体1位指名権を持っていたロチェスター・ロイヤルズは、ラッセルではなくシヒューゴ・グリーンを指名した。ラッセルはサンフランシスコ大学NCAトーナメント2連覇に導いたにもかかわらず、オフェンス偏重の時代だったためその能力は過小評価されていた。ドラフトではさらにK.C.ジョーンズトム・ヘインソーンウィリー・ナオルスといったセルティックスの屋台骨を支える選手が続々とNBA入りを果たしている。

シーズン

オールスター

イースタン・デビジョン

チーム 勝率 ゲーム差
ボストン・セルティックス 44 28 .611 -
シラキュース・ナショナルズ 38 34 .528 6
フィラデルフィア・ウォリアーズ 37 35 .514 7
ニューヨーク・ニックス 36 36 .500 8

ウエスタン・デビジョン

チーム 勝率 ゲーム差
ミネアポリス・レイカーズ 34 38 .472 -
フォートウェイン・ピストンズ 34 38 .472 -
セントルイス・ホークス 34 38 .472 -
ロチェスター・ロイヤルズ 31 41 .431 3

スタッツリーダー

部門 選手 チーム 記録
Points ポール・アリジン フィラデルフィア・ウォリアーズ 1,817
Rebounds モーリス・ストークス ロチェスター・ロイヤルズ 1,256
Assists ボブ・クージー ボストン・セルティックス 478
FG% ニール・ジョンストン フィラデルフィア・ウォリアーズ 44.7
FT% ビル・シャーマン ボストン・セルティックス 90.5

1969-70シーズン以前はアベレージよりも通算でスタッツリーダーが決められていた。

各賞

シーズン概要

  • ビル・ラッセルを獲得したボストン・セルティックスはチーム史上初めてデビジョン優勝を果たし、ボブ・クージーはMVPを受賞した。ルーキーのラッセルは平均リバウンドこそ19.6リバウンドでリーグ1位の成績だったが、オリンピック出場のためにシーズン全72試合のうち48試合の出場に留まったため、リバウンド王獲得はならず、また新人王もチームメイトのトム・ヘインソーンに譲った。
  • 全チームが勝率5割以上の成績を収めたイースタン・デビジョンとは対照的に、ウエスタン・デビジョンは全チームが勝率5割を下回った。

プレーオフファイナル

  デビジョン準決勝 デビジョン決勝 ファイナル
                           
   
  1  ホークス 3  
Western Division
    2  レイカーズ 0  
3  ピストンズ 0
  2  レイカーズ 2  
    W1  ホークス 3
  E1  セルティックス 4
     
   
1  セルティックス 3
Eastern Division
    2  ナショナルズ 0  
3  ウォリアーズ 0
  2  ナショナルズ 2  

ボストン・セルティックスが最初の優勝を成し遂げる。ファイナルの相手はトレードでビル・ラッセルを獲得し、エド・マコーレーを放出したセントルイス・ホークスだった。レギュラーシーズンの勝率はセルティックスが遥かに上だったが、シリーズは意外にも第7戦まで長引いた。

第1戦からいきなりダブルオーバータイムまでもつれる接戦となった。試合終盤、ホークスのジャック・コールマンがショットクロックぎりぎりのロングショットを決め、これが決勝点となって125-123でホークスが勝利した。両者譲らず3勝3敗で迎えた第7戦では、セルティックスが誇るバックコート陣がFG12.5%と沈黙するなか、ビル・ラッセルトム・ヘインソーンのルーキーコンビが大活躍した。ラッセルは19得点32リバウンド、ヘインソーンは37得点23リバウンドを記録した。試合は接戦となり、101-100のホークスリードで試合時間残り1分を切った。1点を追うセルティックスはラッセルがホークスのジャック・コールマンから値千金のブロックを決め、さらにそれがチームの得点に繋がるというラッセルの真骨頂が発揮された。102-101とセルティックスが逆転し、さらにクージーのフリースローで103-101とリードを2点に広げた。しかしホークスのエース、ボブ・ペティットが執念のフリースローをもぎ取り、2本を沈めてシリーズ2度目のオーバータイムに突入した。オーバータイムでも最後まで勝利の行方が分からない接戦となったが、最後はセルティックスのジム・ロスカトフのフリースローが決勝点となり、セルティックスの初優勝が決まった。

このカードは翌シーズンのファイナルでも実現する。ホークスはセルティックス王朝初期の最大のライバルチームであった。

外部リンク


「1956–57 NBA season」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1956–57 NBA season」の関連用語

1956–57 NBA seasonのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1956–57 NBA seasonのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの1956-1957シーズンのNBA (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS