1950-1951
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/30 21:34 UTC 版)
「マセラティ・4CLT」の記事における「1950-1951」の解説
1950年にはF1世界選手権が始まった。改良されたアルファロメオ・158と既に競争力を持つフェラーリとタルボに対応して、マセラティは4CLTのエンジンを再びアップグレードした。マルチパートクランクシャフト、軽量化とバランスを改良したロッド、より強力なスーパーチャージャーと点火タイミングの変更により、エンジン出力は280 bhp (209 kW).に達した。10 kg (22 lb)の軽量化と相まって、マセラティの性能はアルファロメオと互角になった。短期間で多くの改良が行われたが、最終的なアップグレードは10年前に設計されたエンジンにとってあまりにも多く、4CLTのグランプリにおけるパフォーマンスはエンジンの不調によって妨げられた。シーズン唯一の勝利はノンタイトル戦のポーグランプリで、ファンジオの手による物であった。同日にパーネリもグッドウッド・サーキットで行われたリッチモンド・トロフィーで勝利している。その後デヴィッド・ハンプシャーもノッティンガム・トロフィーを獲得した。ファンジオはまた、アングレームで行われたF2のランパートグランプリでA6GCMのエンジンを搭載した4CLTで勝利している。スクーデリア・ミラノは改良型の4CLTを1950年および1951年に使用したが、成功しなかった。 1951年にはプリンス・ビラが49年型の4CLTのエンジンをより強力な4,450 cc (271.6 cu in)のオスカ製V型12気筒自然吸気エンジンに換装した。このエンジンは300 bhp (224 kW).を発揮し、ビラはシーズン前半にグッドウッドで勝利したが、世界選手権ではスペイングランプリに出走しただけで、1周目でリタイアしている。
※この「1950-1951」の解説は、「マセラティ・4CLT」の解説の一部です。
「1950-1951」を含む「マセラティ・4CLT」の記事については、「マセラティ・4CLT」の概要を参照ください。
- 1950 - 1951のページへのリンク