1950 - 1957年
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「アシュランド (LSD-1)」の記事における「1950 - 1957年」の解説
1950年12月27日に再就役し、1951年2月にサンディエゴで慣熟訓練を終えた。4月に東海岸に向けて出航し、5月2日にメリーランド州ボルチモアのメリーランド・シップビルディング・アンド・ドライドック・カンパニーに報告し、追加の改造を受けた。出航後の最初の任務は、軍事海上輸送サービス(MSTS)と共同で行われた「ブルージェイ作戦」であった。6月から9月まで、グリーンランドのトゥーレに派遣された。9月にグリーンランドを出発したアシュランドはカリブ海に向けて出航し、2ヶ月間の活動を行った後、11月にノーフォークに戻って年内の活動を行った。 1953年1月には再びカリブ海へ向かい、1ヶ月間のクルーズを行った。2月に再びバージニア岬周辺に到着し、6月中旬までそこに留まった。6月14日、アシュランドは北大西洋への航海を開始し、8月中旬までその海域で活動した。9月には、フランスの潜水艦2隻とフランス海軍の人員7名を乗せて西海岸に移動した。10月10日にパナマ運河を通過し、14日にサンディエゴに入港した。10月にはノーフォークに戻り、東海岸での運航を再開した。 1955年4月から6月にかけて、フィラデルフィア海軍造船所で修理を受けた後、ロードアイランド州ニューポートで航海訓練を行った。9月20日、スネック作戦に出航し、グリーンランドのトゥーレや、ラブラドール、ニューファンドランドの港を訪問した。12月に帰港した後、1956年2月までの間、整備期間に入った。その後、ボルチモアでさらなる修理を受けた。4月にはプエルトリコのビエケス島で水陸両用の演習に参加し、その後、バミューダへの予備訓練航海を行った。7月には、ニューファンドランドのNSアーゲンティアで陸軍の人員と機材を搭載し、7月19日にDEWライン補給作戦の一環として出港した。この作戦は10月8日まで続いた。 11月1日、アシュランドは大西洋海軍航空部隊司令官の管理下に置かれ、航空機を搭載するための改造が行われた。1957年7月には、P5M-2飛行艇を6機搭載できるようになった。同艦は8月1日から9月中旬までカリブ海に派遣された。1957年9月14日、このドック型揚陸艦は退役し、大西洋予備艦隊のノーフォークグループに配属された。
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