1943~69年 Whiz Kidsの登場~2度目の低迷期
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「フィラデルフィア・フィリーズ」の記事における「1943~69年 Whiz Kidsの登場~2度目の低迷期」の解説
1940年代後半に入ると、長い低迷から脱却するためにチームは若返りを図る。ロビン・ロバーツ、リッチー・アシュバーンといった有望な若手選手が続々とメジャーデビュー。1949年には彼らの活躍により81勝73敗と勝率5割以上を記録し、33年ぶりに3位に食い込んだ。翌1950年には開幕から好調を維持し、首位を独走、シーズン最終戦でのブルックリン・ドジャース(現・ロサンゼルス・ドジャース)との直接対決を制し、1915年以来となる2度目のリーグ優勝に輝いた。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは敗れたものの、若手選手を中心に快進撃を遂げたこの年のフィリーズは「Whiz Kids(神童)」と呼ばれた。しかし、この優勝も束の間、チームは再び低迷期に入る。1960年代にはリーグ優勝に貢献した選手が次々に退団。1958年から4年連続の最下位、1961年には23連敗という不名誉なMLB記録を作ってしまう。そして1964年にはタイガースからジム・バニング投手が移籍し、この年に完全試合を達成するなど活躍しチームも絶好調でシーズン終盤の9月20日時点では90勝60敗で2位のカージナルスに6.5ゲーム差をつけていたのが、残り12試合を2勝10敗して最後は93勝を挙げたカージナルスに逆転されて優勝を逃してしまった。この1964年以外は目立った成績は残せず、せっかくトレードで獲得したエース投手バニングもパイレーツに移り、低迷期は続いた。この間、アスレチックスも長い低迷期を過ごしており、1934年から1967年までに10度の100敗シーズン、勝率5割以上は4回のみ、通算勝率.402だった。また両リーグのシーズン100敗以上の記録を両球団が持っている(アスレチックス:16回、フィリーズ:14回)。
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