1918年 - 1920年代
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「ロイヤル・ブルー (列車)」の記事における「1918年 - 1920年代」の解説
アメリカ合衆国の第一次世界大戦への参戦と、それに伴う国中の鉄道の過密化の結果として、戦時に鉄道網の管理をしていたアメリカ合衆国鉄道管理局 (USRA) はペンシルバニア鉄道に対し、B&Oの旅客列車をノース・リバー・トンネルに通して、マンハッタンにあるペンシルベニア駅へと乗り入れさせるように命じ、1918年4月28日から実施されて、B&Oの列車からジャージーシティでフェリーへ乗り換える必要がなくなった。第一次世界大戦終戦後も、ペンシルバニア鉄道はさらに8年間、B&Oの旅客列車のペンシルベニア駅使用を認めた。1926年9月1日にこの乗り入れ契約は失効し、B&Oの列車は再びジャージーシティのコミュニポー駅発着に戻された。これ以降は、旅客は駅のプラットホームで列車のすぐ前に待機していたバスに乗り換えるようになった。こうしたバスはハドソン川を越えてマンハッタンやブルックリンへと向かい、4つの異なる経路で町中に設けられた「駅」へと向かった。こうした中にはヴァンダービルトホテル、ワナメーカーズ・ストア、コロンバスサークル、ロックフェラー・センターといった場所があった。B&Oでもっとも利用客の多いロイヤル・ブルー用バスターミナルはマンハッタンの42丁目に1928年12月17日に開設された。このターミナルはグランド・セントラル駅と地下連絡通路でつながっており、大理石で飾られアール・デコ調照明器具や革張りソファを備えていた。こうした取り扱いは、ロイヤル・ブルーが最終的に廃止となる1958年まで続いた。
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