1912年(明治45年・大正元年)から1920年(大正9年)頃まで
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「普選運動」の記事における「1912年(明治45年・大正元年)から1920年(大正9年)頃まで」の解説
大正政変以降、地方に市民政社(松尾尊兊の言葉。自由主義的青年層の自主的政治組織で主に商工業者が中核)が続々誕生。1918年(大正7年)に起きた米騒動と第一次世界大戦後に更に増加。〇〇普選期成同盟会 〇〇青年党と称した。だが次第に市民政社は憲政会の傘下に組み込まれていった。1919年(大正8年)1月に普選同盟会 (東京)が再興する。 滑川普通選挙期成同盟会 - 1918年(大正7年)10月6日滑川で結成。これがきっかけとなり全国に同盟会ができ普通選挙期成同盟会再興に影響。1914年(大正3年)結成の滑川立憲青年会が母体。 普通選挙期成同盟会 (東京) - 1919年(大正8年)1月21日再興。事務所は弁護士牧野光安方。2月9日同志大会・大演説会(神田青年会館。現住友不動産神田ビル)。3月1日1万人大デモを行う。12月12日全国同志大会(神田青年会館)。1920年(大正9年)2月11日普選促進大会(上野公園)三万人参加。しかしこの頃労働組合と憲政会が普選運動の指導の中心となり求心力を低下し1920年(大正9年)6月27日の協議会以降の活動を確認できず。
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