19世紀の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 03:42 UTC 版)
19世紀になると、アヘンやストリキニーネなど、少量で効果のある薬が開発された。これは、医学の直接的で制御された応用への新たな関心に拍車をかけた。「皮下注射の優先順位の問題では、いくつかの論争があった」。1844年、フランシス・リンド(英語版)は、最初の注射を成功させたとされている。アレクサンダー・ウッド(英語版)の主な貢献は、1851年の全ガラス製の注射器で、ガラス越しに観察される液体の水準に基づいて投与量を推定することができた。ウッドは、主に局所的な皮下注射(局所麻酔)で皮下注射針と注射器を使用していたため、正確な投与量にはあまり関心がなかった。エディンバラでのウッドの研究と同時期に、リヨンのシャルル・プラヴァス(英語版)も独自に設計した注射器を用いて羊に皮下注射を実験した。プラヴァスは、長さ3cm (1.18 in) 、直径5mm (0.2 in)の注射器を設計した。それは全て銀で作られていた。ロンドンの外科医であるチャールズ・ハンター(英語版)は、1858年に皮下注射を表す用語「hypodermic」の造語で有名である。この用語はギリシャ語の2つの単語、hypo =「下」とderma=「皮膚」に由来している。さらに、ハンターは、注射が痛みのある部位に近づいたにもかかわらず、患者の痛みが軽減されることに気付いた後、注射の全身的効果を認めたとされている。ハンターとウッドは、現代の皮下注射針の起源だけでなく、一度投与した薬の効果についても意見が分かれていたため、長い論争になった。
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