19世紀までの関連書の種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/20 15:12 UTC 版)
「ノストラダムス現象」の記事における「19世紀までの関連書の種類」の解説
上述の通り、19世紀までの解釈者の数はさして多いものではない。しかし、ノストラダムス関連書が少なかったわけではなく、ミシェル・ショマラの書誌では、1567年(ノストラダムスの死の翌年)から1800年頃までの関連書として、実に300点以上が挙げられている。その内容は、おおよそ以下のとおりである。 まず、既に触れた通り『予言集』の版が多く重ねられている。そして、それ以外で目立ったのは、翌年一年を予言した暦書や、数年程度に対象を限定した散文の予言書であった。前者の例としては『ミシェル・ノストラダムス師によって正確に算定された1674年向けの歴史的暦』(パリ、1674年頃)などが、後者の例としては『1768年から1774年までの7年間のノストラダムスの新奇なる予言』(パリ、1768年頃)などが挙げられる。 それらの主たる書き手は匿名のパンフレット作家であるため、内容もノストラダムスとは無関係の偽書にすぎないが、毎年のように出版された。このように、ノストラダムスの名は、19世紀までマチュー・ランスベール、ピエール・ド・ラリヴェ2世などとともに、「売れるブランド」として暦書や予言書に多く用いられていたのである。 ほか、フロンドの乱の際に出された一連のマザリナードの中には、ノストラダムスに仮託する形で政治的な主張や願望(例えば「マザランの失脚が予言されている」といった類の言説)を盛り込んだ風刺文書も少なからず出されていた(1648年から1652年までの関連書として、ブナズラの書誌では40点が挙げられている)。同様の現象はフランス革命期にも見られた。
※この「19世紀までの関連書の種類」の解説は、「ノストラダムス現象」の解説の一部です。
「19世紀までの関連書の種類」を含む「ノストラダムス現象」の記事については、「ノストラダムス現象」の概要を参照ください。
- 19世紀までの関連書の種類のページへのリンク