19世紀と20世紀のソチミルコ
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「ソチミルコ」の記事における「19世紀と20世紀のソチミルコ」の解説
メキシコ独立戦争後、ソチミルコはメヒコ州の一部となった。当時の産業は農業が主であり、湖や運河に浮かぶチナンパで収穫された作物は、トラヒネラに載せられて運河を経てメキシコシティの大きな市場へと運ばれていった。1850年にはメキシコシティからソチミルコへの鉄道が開通し、都市間の運送量は飛躍的に拡大した。トラヒネラはなおもソチミルコ周辺の主な交通手段だったが、1908年にメキシコシティ=ソチミルコ間の都市間鉄道(路面電車)が開通するとトラヒネラは観光用に使われるのみとなっていった。この路面電車は現在もソチミルコLRTとして運行しており、メキシコシティの地上の電車網の一部として、政府の電気交通公社(Sistema de Transporte Eléctrico, STE)が支援を行っている。 メキシコ革命の時期にはソチミルコも戦場となった。1911年にはモレロス州から来たエミリアーノ・サパタ率いる革命軍がメキシコシティに侵入した。彼らは指令部をメキシコシティ南部のミルパ・アルタ区に置いたが、やがてソチミルコ区に移動しようとし、ソチミルコの町は戦火に包まれた。1914年にはエミリアーノ・サパタとフランシスコ・ビリャ(パンチョ・ビリャ)はソチミルコの中央市場前の家屋で「ソチミルコ綱領」(Plan de Xochimilco)に調印している。 1968年メキシコシティーオリンピックではソチミルコでも五輪に向けた建設事業が行われた。クエマンコ運河(Cuemanco)の一部はオリンピックのボート競技およびオリンピックのカヌー競技の会場(「Virgilio Uribe」)へと改造された。区の郊外では、大きなバイパス道路も建設された。20世紀の後半、特に1970年代以降はコナベーションが起こり、メキシコシティとソチミルコの市街は一体化し、間にあった土地はほとんどすべて都市化している。
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