19世紀から20世紀初頭までの地方行政制度
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「グベールニヤ」の記事における「19世紀から20世紀初頭までの地方行政制度」の解説
19世紀には、地方行政機関は、ロシア内地と辺境地域で異なる制度が導入され、集権化、官僚制の強化が図られた。ヨーロッパ部にあるロシア内地には県が設置され(1860年時点で51県)、法制上県に認められている全ての権限が与えられた。一方で、沿バルト3県を除く辺境諸県には、総督府(ゲネラール・グベルナートルストヴォ)が設置された。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、辺境地域には、これ以外に県に相当する20の州(область オーブラスチ)が設置された。 1860年代に始まるアレクサンドル2世の大改革により、地方自治、都市行政、司法の制度改革が実施され、地方行政組織や司法組織に対して、有産者による公選制が導入された。ヨーロッパ・ロシアの34県には、地方自治体であるゼムストヴォが導入され地方経営にあたった。都市部には市会(городская дума ゴロドスカーヤ・ドゥーマ)、および市参事会(городская управа ゴロドスカーヤ・ウプラーヴァ)が導入された。 1890年代のトルストイ内相による「反改革」時代には、こうした自由主義的な公選制が批判の対象となり、1889年には任命制の地方牧民官(земский начальник ゼムスキー・ナチャーリニク)が設置され、ゼムストヴォ(1890年)、都市行政(1892年)に対しても、貴族身分団体の影響力を強化する制度改定が行われた。 1907年から1910年に首相を務めたストルイピンは、地方行政に対する統制を強化し、秘密警察(オフラーナ)や貴族身分団体の役割を強化した。
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