1847年 - 1890年
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「ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群」の記事における「1847年 - 1890年」の解説
ツォルフェアアイン炭鉱は、デュースブルク生まれの企業家フランツ・ハニエル(ドイツ語版、フランス語版)(Franz Haniel, 1779年-1868年)によって設立されたものである。ハニエルは、製鉄業のためにコークスを捜し求めていた。彼がカターンベルク地方(Katernberg, 現在のエッセン郊外)のシェーネベック(Schönebeck)を試掘してみた結果、そこに膨大な石炭層が眠っていることが明らかになった。この石炭層は、 1834年に結成されたドイツ関税同盟(ツォルフェアアイン)にちなんで後に「ツォルフェアアイン」と名づけられた。1847年にハニエルは天然資源採掘を目的とするプロイセン独特の企業体であるツォルフェアアイン鉱業会社 (bergrechtliche Gewerkschaft Zollverein) を設立し、新会社の株式を家族や該当地域の地主たちとの間で分配した。 第1採掘坑の掘り下げは1847年2月18日に始まり、最初の石炭が地下 130 m で発見された。最初の本格的な採掘は1851年に始まり、第2採掘坑も1852年に開かれた。両採掘坑は視覚的には同じ石塔に特徴付けられており、マシン・ハウスを共有していた。このコンセプトは後の双採掘坑 (twin-pit) 式炭鉱の多くで受け容れられた。 1857年にはコークスの生産のために積み上げた木炭 (charcoal piles) を用い始め、1866年には近代的なコークス炉や機械炉 (machine ovens) を使うようになった。 1880年に第3採掘坑の掘り下げが、シェーネベックに隣接する場所で行われた。この採掘坑は螺旋状の塔として鉄骨が採用され、1883年に開かれた。1890年までに3つの採掘坑からは100万トンが産出されており、ツォルフェアアインはドイツの全鉱山の頂点に立った。
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