11度目の防衛戦(WBO王者と事実上の統一戦)・王座陥落
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「長谷川穂積」の記事における「11度目の防衛戦(WBO王者と事実上の統一戦)・王座陥落」の解説
減量苦から2階級上のフェザー級への転向も示唆していたが、2009年に一度合意に至っていたフェルナンド・モンティエル陣営と再交渉してバンタム級残留での事実上の統一戦を実現させた。長谷川は「自分のファイトマネーを削ってもいいから」とその対戦実現を訴え、モンティエル招聘のために5,000万円を支払ったとも言われる。 2010年4月30日、日本武道館で11度目の防衛戦。WBO世界同級王者フェルナンド・モンティエル(メキシコ)との事実上の統一戦に挑む。モンティエルはWBOで3階級(フライ級、スーパーフライ級、バンタム級)制覇を果たしている強豪。なお、WBOがJBC非公認の統括団体である事情から、この試合は長谷川が勝った場合はWBC王座防衛のみ、一方、モンティエルが勝った場合はWBC・WBO王座統一という変則ルールで行われることになった。試合は序盤から長谷川が優位に進めていたが、4回終了間際、モンティエルの左フックをまともに浴び大きくグラつくと、その後の連打でダウン寸前に陥る。そして、ラウンド終了のゴングとほぼ同時(2分59秒)にレフェリーストップが掛かりTKO負け。この瞬間、5年間保持してきた世界王座から陥落した。この試合は12月28日発表の2010年度ボクシング年間表彰で年間最高試合賞を受賞(国内ジム所属選手が敗れた世界戦としては2003年のWBC世界スーパーバンタム級「オスカー・ラリオス対仲里繁」戦以来7年ぶり)。さらに、年明け後の2011年1月3日にはWBCから2010年の「最も劇的な試合」にも選ばれた。
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