11年ぶりの牝馬出走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 18:42 UTC 版)
「ウオッカ (競走馬)」の記事における「11年ぶりの牝馬出走」の解説
桜花賞敗退後は、牝馬クラシック二冠目の優駿牝馬(オークス)ではなく、東京優駿(日本ダービー)に進んだ。 谷水は、カントリー牧場生産馬として東京優駿4勝目、並びにタニノギムレットの仔で東京優駿優勝を目指しており、ウオッカはそのどちらも叶える資格を有していた。さらに、デビュー前から古馬のオープンクラスと互角の併せ馬ができる能力を持ち合わせているという角居から報告があった。そこで谷水は、2歳10月27日のクラシック(3歳馬5大特別競走)第1回登録を、牝馬限定の桜花賞、優駿牝馬のみならず、ほとんど牡馬が出走するはずの三冠競走(皐月賞、東京優駿、菊花賞)にも実施。まもなく阪神ジュベナイルフィリーズをレコード優勝し、時計の面で東京優駿優勝可能な水準に達したと判断。3歳1月の第2回登録も再び5競走に行った。追って3連勝とした桜花賞直前には、桜花賞を制すれば、東京優駿に出走すると谷水が宣言するまでになっていた。 ところが桜花賞は2着、直後に谷水は四位に対し「負けたんだからオークスで頑張ろ」と声をかけている。しかし、谷水と角居が電話で改めて次走を優駿牝馬、東京優駿のどちらを選ぶかを話し合い、最終的に谷水が判断を角居に任せることにした。そこで角居は、東京優駿を選択、谷水もそれに賛同。こうして1996年のビワハイジ以来11年ぶりとなる、牝馬による東京優駿出走が実現した。この選択に「無謀」といった声や、調教師OBによる新聞紙上での批判表明も存在した。さらに、見送った優駿牝馬では桜花賞優勝馬のダイワスカーレットが感冒により出走が叶わなかったため、そちらを選べば勝てただろうと挑戦を歓迎しない声もあった。参戦を前に、装蹄を担当する西内荘は、ウオッカの馬体の成長を見極め、蹄鉄を脚への負担が大きい代わりに、大一番で使用されるスパイク蹄鉄に変更している。
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