100インチ (2.5 m) フッカー望遠鏡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/27 00:09 UTC 版)
「ウィルソン山天文台」の記事における「100インチ (2.5 m) フッカー望遠鏡」の解説
ヘールは間もなくより大口径の望遠鏡の建設に着手した。カーネギー協会とともに、資産家で慈善家のジョン・D・フッカーが必要な資金の大半を援助した。1906年、ミラーブランクの鋳造に再びサンゴバン社が選定され、製造にはかなりの困難があったものの1908年にブランクが完成した。1917年11月1日に100インチ (2.5m) 望遠鏡は完成し、ファーストライトを迎えた。 フッカー望遠鏡の機構には滑らかな操作を可能にするために水銀の「浮き」が内蔵されている。1919年にはフッカー望遠鏡にアルバート・マイケルソンによって開発された光学干渉計が取り付けられた。天文学でこの種の装置が使われたのはこれが初めてだった。マイケルソンはこの干渉計を使ってベテルギウスのような恒星の正確な直径と距離を測定した。ヘンリー・ノリス・ラッセルはフッカー望遠鏡を使った観測を元にして恒星の分類システムを考案した。 エドウィン・ハッブルは100インチ (2.5m) 望遠鏡での観測を元に歴史的に重要な計算を行なった。彼は、星雲が実際には我々の天の川銀河の外にある銀河であると結論した。ハッブルと助手のミルトン・ヒューメイソンはまた、宇宙が膨張していることを示す赤方偏移の存在を発見した。 フッカー望遠鏡は長い間、世界最大の望遠鏡として君臨していたが、1948年にカルテクとワシントン・カーネギー協会の共同事業体がウィルソン山から150km南のカリフォルニア州サンディエゴ郡にあるパロマー山に200インチ (5m) 望遠鏡を完成したことでその座を明け渡した。 1986年に100インチ (2.5m) 望遠鏡は運用を終了した。しかし1992年に再び使用が開始され、補償光学システムを装備した。これによって望遠鏡の分解能は 0.05 秒角を達成した。その後約2年間にわたって、フッカー望遠鏡はハッブル宇宙望遠鏡を含めて世界中で最もシャープな望遠鏡装置に再び返り咲いた。現在はその地位も他に明け渡したが、フッカー望遠鏡は今でも20世紀の傑出した科学装置の一つである。
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