龍柱の向き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 14:56 UTC 版)
1992年の首里城正殿の龍柱の再建に当たっては、「昔の龍柱は正面を向いていた」説と「龍柱は昔から向かい合っていた」説があったが、資料によって向きがまちまちでよく解らず(1508年の建造当初から現在まで、時期によって向きが違ったのか、資料が不正確なのか、よく解らない)、首里城再建の考証に当たった西村貞雄も、「寸法記」を典拠として、結局「向かい合っていた」説に賛同した。 現存する3代目の龍柱の写真では、龍柱は向かい合わせになっているが、「本来の龍柱は正面を向いていたが、首里城が沖縄神社にされていた時代に、本土の神社の狛犬に倣って無理やり向かい合わせにさせられた」説が根強く、その意味で古老を中心として、龍柱を向かい合わせで再建することに反対する者も多かった。日本軍が首里城を制圧する1879年より前の1877年に琉球を訪れたジョン・ヘイ提督による記録(『青い目が見た「大琉球」』に収録)では、確かに龍柱は正面を向いていた。西村貞雄も1993年の論文で「正面向きが本来の姿」と主張した。 西村によると、龍柱の向きは風水の思想と仏法の心が合わさっているといい、正面を向くかたちを取った場合は、威嚇或いは衛兵を意味し、向かい合うかたちを取った時には、許される事につながると言う。
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