黒人霊歌と白人霊歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:01 UTC 版)
現在のように「spiritual」が、黒人霊歌を指すようになったのは、(明確にはわからないが)南北戦争後のことであり、それまでは、アンセム、賛美歌、霊歌、ジュビリー・ソング、奴隷の歌、奴隷小屋・プランテーションの歌、ゴスペル、プランテーション讃美歌など様々に呼ばれた。1960年代には、黒人霊歌を指す言葉として、spiritualが一般的になった。歌集の標題にspiritual songではなくspiritualを用いた本は、ジョンソン兄弟の『アメリカ黒人霊歌集』(1925年)が最初である。 黒人霊歌の起源は、アフリカ民謡を起源のひとつとする説、白人の民間宗教歌が黒人に影響を与えて発生したという白人音楽起源論などが、激しい論争を繰り広げてきたが、アフリカとアメリカ南部白人文化両方の影響があると考えられている。 黒人霊歌はかつて「Negro Spirituals(ニグロ・スピリチュアル)」と呼ばれていたが、黒人を指す「Negro(ニグロ)」という言葉に差別的な意味を持つようになった現在では、単に「スピリチュアルズ・Spirituals」あるいは、「African-American Spirituals」と呼ばれる。1930年代ごろにトーマス・ドーシーやブラインド・ウィリー・ジョンソンらが登場したことで、霊歌の時代は終わり、「ゴスペル」の時代へと変わっていった。 「フィールドハラー・ミュージック」は、Levee Camp Holler・ミュージックとも呼ばれ、19世紀に創作された、初期のアフリカ系アメリカ人音楽である。野外奉仕者たちはブルース、スピリチュアル、そして後にリズムとブルースの基礎を築いた。綿花畑の農作業者、刑務所のチェーン・ギャング、鉄道労働者、ターペンタイン・キャンプなどで働くクロッパーは、アフリカ系アメリカ人が多かった。
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