黄寅性とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 黄寅性の意味・解説 

黄寅性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 00:40 UTC 版)

ヘルムート・コールと会談する黄寅性
黄 寅性
各種表記
ハングル 황인성
漢字 黄 寅性
発音: ファン・インソン
日本語読み: こう いんせい
テンプレートを表示

黄 寅性(ファン・インソン、朝鮮語: 황인성1926年1月9日 - 2010年10月11日)は、大韓民国政治家陸軍軍人官僚実業家。元首相交通部長官、農水産部長官、全羅北道知事、第11・12・14代国会議員[1]本貫昌原黄氏[2]

経歴

日本統治時代の全羅北道茂朱郡に生まれた。陸軍士官学校(4期)、国防大学院、ソウル大学校行政大学院卒[2]米国陸軍参謀大学ピッツバーグ大学でも修学歴がある[1]

1958年に陸軍中央経理団団長、1959年に陸軍経理学校校長、1960年陸軍本部経理監、1961年に初代調達庁長、1963年国防部財政局長を務めた後、1968年少将として予備役に編入した[2]

1970年無任所長官室補佐官を務めた後、1973年全羅北道知事に就任し5年間務めた。1978年交通部長官に就任。その後は韓国観光公社社長を経て[1]1981年第11代総選挙1985年第12代総選挙で当選した。国会議員を務めたほか、民正党全北道委員長、国会交通逓信委員長を務めた[1]1985年農水産部長官に就任。1992年第14代総選挙では民主自由党所属で鎮安長水・茂朱選挙区で再び当選し、1993年金泳三政権の初代国務総理に就任した。しかし、その後のウルグアイ・ラウンド農産物交渉においてコメ市場の開放の責任を負うため、首相を辞任した[2]

退任後は財界に進出し、アシアナ航空社長、錦湖アシアナグループ顧問、新韓国党常任顧問、安重根義士崇慕会理事長を歴任した[1][2]

脚注

  1. ^ a b c d e 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年8月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e 황인성(黃寅性)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月17日閲覧。
公職
先代
-
大韓民国調達庁長
初代:1961 - 1962
次代
白石柱
先代
李春成
官選全羅北道知事
第19代:1973 - 1978
次代
金学中
先代
閔丙権
大韓民国交通部長官
第24代:1978 - 1979
次代
柳陽洙
先代
朴鍾汶
大韓民国農水産部長官
第37代:1985 - 1986
次代
(農林水産部に改編)
先代
(農水産部から改編)
大韓民国農林水産部長官
初代:1987
次代
金周浩
先代
玄勝鍾
大韓民国国務総理
1993
次代
李会昌



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  黄寅性のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「黄寅性」の関連用語

黄寅性のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



黄寅性のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの黄寅性 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS