麻垣康三の実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 16:15 UTC 版)
「麻」生太郎 谷「垣」禎一 福田「康」夫 安倍晋「三」 森派(清和政策研究会)の安倍晋三は、同派の福田康夫が不出馬を表明したため、同派の所属議員86人、丹羽・古賀派(宏池会)の元自由民主党幹事長の古賀誠は安倍支持を明確にし48人の多くが支持に回り、二階グループ(新しい波)の15人も支持に回り、伊吹派(志帥会)・津島派(平成研究会)・山崎派(近未来政治研究会)の大部分も支持に回り、津島派の額賀福志郎、山崎派の山崎拓は出馬を断念し、安倍支持に傾き安倍への支持は約7割に上った。 反安倍勢力では、対中強硬派と目された安倍への対抗馬として、アジア外交を主眼に置く福田に期待していたが、福田が「靖国神社問題を争点とするのは国益に合わない」として不出馬を表明したことにより、福田支持であった古賀らは安倍支持に回り、安倍の優勢が確定した。 麻生と同派の河野太郎と無派閥の鳩山邦夫も出馬を目指していたが、推薦人は集められず麻生選対に加わった。他にも、額賀福志郎・与謝野馨など有力視されていた候補は次々に不出馬を表明し、河野グループ及び谷垣派以外の派閥は安倍内閣におけるポストの獲得を狙って安倍支持を表明しているため、『麻垣康三』との呼び方と裏腹に安倍一人勝ちの公算が大きいとみられていた。 自民党首脳部は2006年の総裁選を、“党員以外の人間も投票できる国民参加型の選挙に変える”と盛んに宣伝していたが(かつて民主党が行なった事がある。参加料を支払えば誰でも投票出来た)、党内から異論が相次いだため結局はうやむやにされており、「国民参加型」というキャッチフレーズは自民党員の間で「無かったこと」にされている。また、『麻垣康三』の全員が世襲政治家であり、さらに谷垣以外全員が首相経験者を祖父・実父に持つ。 麻生は2006年12月15日に河野グループを継承しつつ新たに為公会(のちの志公会)を立ち上げ会長に就任し、谷垣は2005年9月に谷垣派の会長に就任しており、2人は派閥の領袖として出馬したことがある。しかし、谷垣派は2008年5月に古賀派に合流しており、谷垣は総裁就任時には派閥会長ではなかった。福田は派閥会長にはならず、後述のように安倍は首相・総裁退任後の2021年に清和政策研究会の会長に就任したため、「麻垣康三」の中で派閥の領袖として総裁に就任したのは麻生のみであった。
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