麻多智と標の梲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 14:29 UTC 版)
麻多智は箭括氏を率いる首長と思われるが、夜刀神に対して標の梲を堺の堀に立て、「此より上は神の地と為すことを聴(ゆる)さむ。此より下は人の田と作(な)すべし」と宣言したが、これは世界を「内部」(人の世界、稲田、ミクロコスモス)と「外部」(神の世界、谷・山、マクロコスモス)に分類する出来事を始原として語ったもので、古代の首長層が土地の神を鎮める呪具としての梲(つえ)(梲は大きい杖)を「内部」と「外部」の境界標識として立てることで境界を画定し、土地の占有や支配を示すとともに、夜刀神の「祝」となることで融和をはかったものであろうとされ、自然を表象する神々を克服するという点で、常陸における英雄時代を語るものであるともされる。 また、その境界において共同体の安寧をはかった呪術儀礼が実修され、蛇神は多く水神の表象とされるので、蛇神である夜刀神に対する祭祀は稲作に関わる水利管理に関するものであり、定住と稲作を前提とする農耕祭儀であろうと見られ、土地の開墾に際して自然神である山野の神霊から土地を譲り受ける「地もらいの儀礼」と見ることもできるというが、この点に関しては、編纂者による説話内容の改変を疑う説もある(後節「『常陸風土記』と儒教思想」参照)。
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