鴨緑江橋梁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 20:26 UTC 版)
「鴨緑江断橋」も参照 鴨緑江橋梁は、韓国統監府の鉄道当局(のち朝鮮総督府鉄道局)によって1909年に着工された。韓国と満州を結ぶ重要な橋であった一方、日本が鴨緑江に架橋することを正当化する根拠が無かったことから(当時の満州は清の統治下にあったため)橋は韓国側から着工され、当初は清に無断で工事が進められた。1910年4月に日本と清の間に覚書が成立したことにより清の了承を得て1911年10月に完工。1911年11月1日に開通式を行って京義線(現・朝鮮民主主義人民共和国鉄道庁平北線)と安奉線(南満州鉄道)が接続された。この橋は全長944.2メートル、幅11メートルで、12連のトラス橋で構成され、船舶の通行を阻げないように中央部分が水平方向に90度回転する可動橋(旋回橋)となっていた(1934年3月に開閉を終了)。 朝鮮戦争中の1950年11月8日、アメリカ軍機の爆撃によって破壊され、その後修復はなされなかった。鴨緑江断橋と呼ばれて現在はプロパガンダ用に整備されており、爆撃を受けた時のままの先端の破断面を見ることができる。
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