鰐トナリ原子爆弾ノ日ノ少女
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
夏 |
出 典 |
双刃の剣 |
前 書 |
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評 言 |
『鈴木六林男全句集』(2008年)所収。もとの出典としては、『俳句の現在12鈴木六林男三橋敏雄集』(三一書房)に収録されている未刊句集『双刃の剣』のなかにある句である。 歴史的に、あるいはまた世代的に、六林男がある世代の前衛俳句の代表の一人に数えられることは事実であるが、そのことはかならずしも彼がすすんで前衛俳句という型式を選択したことを意味しないとおもわれる。もしや生まれた時代がちがっていたら、彼は有季定型で俳句をつくっていたかもしれないし、また事実有季定型の代表句もいくつかのこしている。もちろんこれは六林男に限ったことではないかもしれないが、しかし彼の場合、その作品と発言の両方で、俳句における有季の遺産をたえず意識していたことがあきらかである。実際、六林男の句の骨格を丹念にみていくと、その表現技法の正確さにすくなからず驚かされる。六林男の場合、前衛俳句の文体にありがちな技法的破綻がきわめてすくなく、しかも破綻のみられる場合にもしばしば六林男自身がそれを自解してみせている。要するに、それは六林男が傑出した技術者であったということである。鈴木六林男は、前衛俳句として社会性のある主題をあつかいながら、俳句の表現としても完成度の高い俳句をつくりつづけた。その作品は、戦後俳句に有数の遺産というべきであろう。 掲出句、原爆に被爆した少女が、鰐に形をかえていきのこったというのである。虚構であるが、なんとも凄惨な光景である。爆心地の凄惨な事実を描写するのに、カタカナ表記がきわめて効果的につかわれている。見事な表現力である。 鈴木六林男というと、きまって戦争というおさだまりの主題が論じられるが、そういう紋切り型の読解は、六林男を過小評価することにしかならないはずである。同じ戦争というテーマを俳句にしていても、凡百の俳人とちがって、六林男の表現はこのように鋭利で忘れがたいのである。われわれがそこから学ぶべきものはおおいであろう。ほかに「何をしていた蛇が卵を呑み込むとき」(『一九九九年九月』所収)など、驚嘆すべき成果をのこしている。 |
評 者 |
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備 考 |
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