魚魂碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 22:32 UTC 版)
江戸時代に、現在の京都市伏見区横大路に魚市場があったことを示す石碑。 草津湊は、平安時代から旅人やさまざまな物資の輸送に利用されていたが、魚市場は豊臣秀吉の時代から、明治10年に神戸・京都間に鉄道が開通が開通するまで、約300年間賑わっていた。瀬戸内・四国・和歌山方面から魚を積んだ大型の曳き船は、淀川・桂川をさかのぼり草津湊で荷揚げされた。荷揚げされた生魚は、走りとよばれる仲仕によって京の都に運ばれた。このことは魚や野菜の初物を「走り」とよぶ語源とされている。夏の京都を代表する食材に鱧があるが、鱧は生命の強い魚なので、夏も生きたままで京都に届けられ珍重された。 明治10年の鉄道開通後、草津湊が衰退したことから、魚市場は1888年に京都の七条の京都駅に付近に移転したが、大正8年(1919年)に、魚市場があったことを示す記念碑が、魚市場運営の中心であった大橋家により建設された。その後、台風で倒壊したが、昭和60年(1985年)に京都水産物小売工業組合の有志により再建され、「魚魂」の文字が付加されている。魚市場・草津湊があった。伏見区 横大路の地元では、鱧が運ばれたルートを鱧街道と命名し横大路まちづくりフェティバルとして、毎年秋に「桂川・草津湊はも街道まつり」を開催している。。 所在地:京都市伏見区横大路、羽束師橋下流50mアクセス:京都電鉄中書島駅より市バス22 横大路車庫下車、徒歩10分
※この「魚魂碑」の解説は、「鳥羽街道」の解説の一部です。
「魚魂碑」を含む「鳥羽街道」の記事については、「鳥羽街道」の概要を参照ください。
- 魚魂碑のページへのリンク