高知尾の豊姫
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『諏方大明神画詞』によれば、神功皇后の三韓征伐の時に諏訪と住吉の神々が現れた。皇后は大変喜び、二神をもてなした。また、戦いに赴くことを海底の龍宮に知らせるために「高知尾の豊姫」を遣わし、海神から「満干の両珠」を借り受けたという。 又虚空より海上に両将化現す。各一剣を横たへて弓箭を負ふ(弓箭寸尺鎧(よろい)脇立この時より始めて定れり)およそ、甲冑を帯する勢ひ、気力の長たる、その勇める顔色、鬼神の如し。その怒れる眦(まなじり)、明星に似たり。よつて棟梁の臣武内宿禰奏聞を経て、その故を問ひ給ふ。「君、他の州(くに)へ発向の間、天照大神の詔勅によつて諏方・住吉二神守護の為に参ず」と答へ給ふ。皇后大きに喜び、則ち錦座を両神に与へ、霊膳を花船に供へ、雲帆(うはん)に幣帛を捧げ、帰敬二心なし。その中に又妖艶の媚たるあり。高知尾の豊姫と号す。螻羽一箭の上に坐しながら、鳳綸を書きて、龍宮へ遣す。海主、大きに驚きて勅命に応じて満干の両珠を捧ぐ。御願成就の瑞相厳重の由、君臣共に欣悦す。 延宝2年(1674年)の『諏方講之式』では「下宮亦八坂姫之云豊姫神」とあり、豊姫は八坂刀売神と比定されている。『高島藩書上帳』にも、下社の女神に関して「又名高知尾豊姫命」とある。 建御名方神・八坂刀売神の神階推移年建御名方神八坂刀売神842年 無位勲八等→従五位下 無位→従五位下 850年 従五位上 従五位上 851年 従三位 従三位 ? (従三位→正三位?) -- 859年1月 正三位勲八等→従二位 従三位→正三位 859年2月 従二位勲八等→正二位 正三位→従二位 867年 正二位勲八等→従一位 従二位→正二位 神名帳 名神大 名神大
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