高橋健二_(音楽家)とは? わかりやすく解説

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高橋健二 (音楽家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 20:50 UTC 版)

高橋 健二
出生名 高橋 たかはし たかし
生誕 (1938-07-09) 1938年7月9日
出身地 日本 東京都
死没 (2021-07-13) 2021年7月13日(83歳没)
日本 東京都
学歴 東京都立王子工業高等学校卒業
ジャンル グループ・サウンズ
職業 ベーシスト
担当楽器 エレクトリックベース
ボーカル
活動期間 1962年 - 1963年
1965年 - 1971年
2002年 - 2021年
共同作業者 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
著名使用楽器
ファーストマン

高橋 健二(たかはし けんじ、本名:高橋 隆1938年7月9日 - 2021年7月13日)は、日本の音楽家ベーシスト

経歴・人物

東京都出身。東京都立王子工業高等学校卒業。

中学生当時から音楽に興味を持っており、トランペットを吹いていた。

高校卒業後に同級生仲間とウエスタンバンドをやっていたところ、1962年に大橋プロダクションを設立し、社長に専念することになった当時のブルー・コメッツのエレクトリックベース奏者大橋道二の後釜としてスカウトされ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツに参加。高橋健二のためにファーストマンが作られた。ダウンストローク・ピッキングしか弾かないことで有名。

1963年、家業の関係で活動を一旦脱退するが、1965年5月に復帰した。

ブルー・コメッツ在籍中に自らも作曲を担当し、「別れの指環」(LP『オリジナルヒット第2集』収録。作詞:橋本淳)「小さな秘密」(「さよならのあとで」のB面。作詞:橋本淳、「愛の子守歌」(「虹と雪のバラード」のB面。作詞:橋本淳)などの作品を手がけた。

1971年にブルー・コメッツが実質的に解散し、高橋自身も音楽から離れていた時期があったが、2000年、メンバーだった井上忠夫が死去したことをきっかけとして2002年にGS時代のメンバーでブルー・コメッツが再結成される。

趣味は釣りであり、大会で優勝するほどの腕前であった。

2021年7月13日、東京都内の病院に於いて病気のため死去[1]。83歳没。

脚注

出典

  1. ^ "高橋健二さんが83歳で死去「ブルー・コメッツ」のベーシストとして活躍". Nikkan Sports. 日刊スポーツ新聞社. 17 July 2021. 2021年7月17日閲覧



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