騎手としての評価・特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 07:03 UTC 版)
職人的、玄人受けした騎手とされ、その騎乗技術は騎手仲間からも高く評価された。若手騎手に「うまい騎手は誰か」を尋ねると必ず河内の名が挙がったとされ、弟弟子の武豊も若手のころ、自身が抑えきれなかった馬をいとも簡単に乗りこなす河内の姿を見て考えるところが多かったといい、後年トップジョッキーとなってから「兄弟子に河内さんがいたことが大きかった。あの人がいなかったら天狗になっていたと思う」と述べている。 アナウンサーの杉本清によれば、武邦彦は「とにかく俺がとりたいポジションに必ず河内がいる」と話していたといい、杉本は「このひと言がすべてを表している」と述べている。また、地方から中央へ移籍した安藤勝己は、中央での騎乗開始が河内の引退と入れ替わりとなったため、直接対決こそなかったが、中央で騎乗する際に河内がどういったコースを取るかを参考にしながら騎乗していたという。 ダイイチルビーの調教師・伊藤雄二は「変な、無駄な動きを、彼は一切しない。だからこそ最後に馬も伸びてくる」と論じている。また田原成貴は、その騎乗フォームを評して「日本一の美しさ」とし、「彼のモンキー姿勢、肩、臀部、膝で出来る逆三角形の形、角度は芸術品です。その形は折り合いの難しい馬に騎乗した時でも崩れが非常に少ないです。それに腰から膝にかけての角度、膝から足にかけての角度、どれをとっても素晴らしいの一言です」と賞賛している。 比較的差し・追い込みを得意とする騎手ともみられていた。河内自身の言によれば、先輩の邦彦が先行型の競馬を得意としていたことから、「同じことをしていても超えられるはずはないと」後方からの競馬に活路を求めたのだという。また河内はメジロラモーヌ、ダイイチルビー、ニシノフラワーといった「切れ」の鋭いタイプの牝馬を好んでおり、「切れる脚を存分に活かすには、最後までためないと、その切れが生きない。それに牝馬というのは繊細なところがあるし、一線級の牝馬になればなおさらそうした傾向があって、その繊細な気性を逆なでしたら手が付けられなくなる。そうした難しさのある牝馬の良さを生かせたからこそ『牝馬の河内』のニックネームをもらったわけで、『牝馬の河内』と呼ばれたことに、それなりの自負はある」と述べている。 また、特別模範騎手賞を受賞しているように、フェアプレーに努めた騎手であった。河内は引退に際し自身の騎手生活を総評し、「最後まで、人に納得してもらえる騎乗を心掛けたつもり。この人が乗って負けたらしょうがない、という単純なものでなく、こういう競馬をしてくれても負けたんだから、しょうがないか、と納得してもらえる騎乗。それに近いものはできたように思う」と語っている。
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