首相になり損ねるとは? わかりやすく解説

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首相になり損ねる (1923年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 02:16 UTC 版)

ジョージ・カーゾン (初代カーゾン・オヴ・ケドルストン侯爵)」の記事における「首相になり損ねる (1923年)」の解説

1923年5月喉頭癌患ったボナー・ロー首相引退した時、カーゾン侯は後任候補二人のうち一人挙げられた。カーゾン以外のもう一人党内急速に昇進していた大蔵大臣ボールドウィンである。家柄政治経験の面ではカーゾン侯の方が圧倒的に上だが、カーゾン侯は庶民院議員ではなく貴族院議員であり、しかも反民主的な貴族主義者で知られていた。一方平民出身庶民院議員ボールドウィン庶民院保守党陣笠議員支持集めており、シティ金融資本家や貿易業界からも信頼されていた。 ボールドウィン支持者である庶民院議員ジョン・デイヴィッドソン英語版)によって書かれた「政府重職占め貴族の数が多すぎて庶民院反発起こっている」「カーゾン支持する保守党庶民院議員50人もいないであろう」という内容の手紙が国王個人秘書英語版初代スタムフォーダム男爵アーサー・ビッグ(英語版)を通じて国王ジョージ5世手交された(ただしスタムフォーダム卿自身カーゾン侯の支持者カーゾン侯に組閣の大命与えるべきことを国王助言している)。また国王から助言求められバルフォアも「首相職庶民院残しておくべき」と奉答した(バルフォア個人的にカーゾン嫌っていた)。 結局国王ボールドウィン組閣の大命降下する決断をした。成り上がり者首相地位取られたことを不快に思ったカーゾン侯はボールドウィンについて「取るに足らない人物」「彼は国家のために働くような人物ではない」と付言した。しかしボールドウィン内閣引き続き外務大臣務めることは了承している。

※この「首相になり損ねる (1923年)」の解説は、「ジョージ・カーゾン (初代カーゾン・オヴ・ケドルストン侯爵)」の解説の一部です。
「首相になり損ねる (1923年)」を含む「ジョージ・カーゾン (初代カーゾン・オヴ・ケドルストン侯爵)」の記事については、「ジョージ・カーゾン (初代カーゾン・オヴ・ケドルストン侯爵)」の概要を参照ください。

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