首相になり損ねる (1923年)
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「ジョージ・カーゾン (初代カーゾン・オヴ・ケドルストン侯爵)」の記事における「首相になり損ねる (1923年)」の解説
1923年5月に喉頭癌を患ったボナー・ローが首相を引退した時、カーゾン侯は後任候補二人のうち一人に挙げられた。カーゾン侯以外のもう一人は党内で急速に昇進していた大蔵大臣ボールドウィンである。家柄や政治経験の面ではカーゾン侯の方が圧倒的に上だが、カーゾン侯は庶民院議員ではなく貴族院議員であり、しかも反民主的な貴族主義者で知られていた。一方平民出身の庶民院議員ボールドウィンは庶民院保守党陣笠議員の支持を集めており、シティの金融資本家や貿易業界からも信頼されていた。 ボールドウィンの支持者である庶民院議員ジョン・デイヴィッドソン(英語版)によって書かれた「政府重職に占める貴族の数が多すぎて庶民院で反発が起こっている」「カーゾンを支持する保守党庶民院議員は50人もいないであろう」という内容の手紙が国王個人秘書(英語版)初代スタムフォーダム男爵アーサー・ビッグ(英語版)を通じて国王ジョージ5世に手交された(ただしスタムフォーダム卿自身はカーゾン侯の支持者でカーゾン侯に組閣の大命を与えるべきことを国王に助言している)。また国王から助言を求められたバルフォアも「首相職は庶民院に残しておくべき」と奉答した(バルフォアは個人的にカーゾンを嫌っていた)。 結局国王はボールドウィンに組閣の大命を降下する決断をした。成り上がり者に首相の地位を取られたことを不快に思ったカーゾン侯はボールドウィンについて「取るに足らない人物」「彼は国家のために働くような人物ではない」と付言した。しかしボールドウィン内閣で引き続き外務大臣を務めることは了承している。
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