飛鳥 (特設水雷砲艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/03 15:57 UTC 版)
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艦歴 | |
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建造所 | 上海江南造船所 |
起工 | 1911年 |
進水 | 1917年 |
竣工 | 1918年 |
就役 | |
その後 | 1945年5月7日沈没 |
除籍 | |
要目(()内は永建時代のもの) | |
排水量 | 常備:860トン |
全長 | -m (68.3m) |
全幅 | -m(9.85m) |
吃水 | -m(4.1m) |
機関 | (石炭専焼缶-基+レシプロ機関2基2軸推進 |
出力 | (1,350hp |
速力 | 13.0ノット |
航続距離 | -ノット/-海里 |
燃料 | -トン(石炭) |
乗員 | -名(140名) |
兵装 | (アームストロング 10.2cm単装砲1基 アームストロング 7.62cm単装砲3基 アームストロング 4.7cm単装砲4基 3.7cm(40口径)単装砲1基) |
飛鳥(あすか)は、日本海軍の雑役船。元は中国が建造した砲艦で永翔級の準同型艦の永建級1番艦「永建」(ユンチュン)を取得して修理後に改名して就役させた艦である。
艦歴
元は1915年(大正4年)建造の中国砲艦「永建」であったが1937年(昭和12年)8月に上海で爆撃を受けて沈没した。(第二次上海事変)その後、日本海軍が浮揚の上、雑役船中の交通船として日本海軍籍に編入、特設水雷母艦の任務に従事した。1940年(昭和15年)に二等駆逐艦3隻、特設砲艦12隻からなる第13戦隊が編成され、本艇はその旗艦兼母艦となった。1945年(昭和20年)に入り対空警備艦となったが、5月7日にB-29の爆撃を受けて沈没した。
関連項目
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0464-4
外部リンク
「飛鳥 (特設水雷砲艦)」の例文・使い方・用例・文例
- そこからは、ずっと平野を見渡せてすばらしく、後方には飛鳥があった。
- 飛鳥射撃
- 飛鳥を射撃する
- 飛鳥を撃つ
- 本は飛鳥の如く売れる
- 飛鳥山は桜の名所だ
- 飛鳥時代という,日本の時代
- 飛鳥文化という,日本の古代文化
- 石神遺跡は飛鳥時代の迎賓館(げいひんかん)だったと考えられている。
- 仏像が,飛鳥(あすか)文化の作品であると科学的に判断されたのは初めてのことだ。
- それらは飛鳥(あすか)川の東岸にあり,石(いし)舞(ぶ)台(たい)古墳の西200メートルにある。
- 「日本書記」によると,馬子は飛鳥川のほとりに居住していた。
- 蘇我氏は飛鳥時代に影響力のある人物だったが,645年の大化の改新で滅ぼされた。
- その場所は飛鳥時代の都の約600メートル北西に位置している。
- 「飛鳥(あすか)美人」の修復始まる
- 有名な「飛鳥(あすか)美人」の絵は石室の東壁と西壁に描かれている。
- 5月10日と11日には,「飛鳥美人」が描かれた西壁の一部がクレーンで石室から取り外された。
- 有名な「飛鳥(あすか)美人」を含むこれらの壁画は陶板画として再現された。
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