頼朝伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 08:01 UTC 版)
西口から入った洞内は幅が狭く光も差し込まないために内部は暗く、洞口から東口に抜ける中間地点付近には、北東方向へ向かう「頼朝穴」または「鎌倉穴」と呼ばれる支洞がある。 言い伝えによればこの支洞は鎌倉まで通じていると言われ、その昔、追手に追われた源頼朝がこの洞窟に隠れた際、この様子を見ていた蜘蛛が洞窟の入り口に蜘蛛の巣を張ったため、追手の目をくらませることができ、頼朝は難を逃れたという。また、鎌倉宛の密書をしたためた頼朝は、この真っ暗な支洞の奥へ密書を投げ入れたと伝えられている。 この支洞は前述した昭和10年の天然記念物調査報告書でも、「此穴は眞暗にして未だ奥を極めたるものなく」と記されていたが、1984年(昭和59年)4月に静岡大学探検隊が調査を行った結果、支洞入口より39メートルの地点で行き止まりになっていることが判明した。
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