頼朝再上洛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:57 UTC 版)
建久6年(1195年)3月4日、頼朝は東大寺落慶供養に参列するため5年ぶりに上洛した。頼朝は落慶供養を終えて京に戻るとまず宣陽門院に参入し、3月29日には丹後局を六波羅に招いて政子・大姫と引き合わせ、豪奢な贈り物を進呈した。これは大姫入内工作の一環と思われる。一方、兼実と頼朝が対面したのは3月30日の参内の際だったが『玉葉』には「雑事を談ず」とあるだけで、4月1日条には頼朝の贈り物が「馬二疋」であったことを「甚だ乏少」と記し、頼朝の態度の変化に困惑している様子が伺える。 4月10日、兼実と頼朝は再び対面するがこの時の会談はかなり長くなり、深更にまで及んだ。4月12日には、吉田経房が六波羅に参入して頼朝や大江広元と盃酒を交わし、「旧院御代の事」や「当時御世務」について談話が数刻に及んだ。これらの会談の主題は兼実がかつて取り消した長講堂領の再興問題と推測される。10日の兼実と頼朝の会談が長引いたのは兼実の執拗な抵抗があったためと見られるが、4月24日になって頼朝の申し入れにより長講堂領七ヶ所の再興が決定された。兼実は有職故実には通じていたが政治工作は不得手であり、丹後局と頼朝の接近を眼前にしても状況を傍観する以外に手立てはなかった。
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