頼朝落胤説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:39 UTC 版)
母・利根局はかつて源頼朝の妾であり、また養父の中原親能が頼朝の側近だったことから、頼朝の寵愛を受け、後の大友氏の興隆の因となったとする説がある。また母との関係から能直を頼朝の落胤とする説があり、大友氏の系図では能直を頼朝の庶子としている。 だが、利根局が頼朝の妾であったとする話は、同時代史料はもちろん、『吾妻鏡』など後世の編纂史料にも記されていない。弘安年間に作成されたとみられる野津本「大友系図」には藤原秀郷から古庄能成-大友能直が一本の系統で結ばれて異説などの記載が無いことから、鎌倉時代後期には能直を頼朝の落胤とする説そのものが存在しなかったとする指摘もある。 なお、後世において足利尊氏が九州で再起を図った際に幼少だった第7代大友氏泰とその兄弟全員を尊氏の猶子に迎え入れたとされており、足利尊氏と大友氏泰の擬制的な親子関係を源頼朝と大友能直に遡らせて作られたのが頼朝落胤説であるとする見方もある。
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