頭山満の荒尾評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 07:28 UTC 版)
玄洋社の頭山満は荒尾の死後次のように語った。 余は大に荒尾に惚れて居った、諺に五百年に一度は天偉人をこの世に下すと云うとあり、常時最も偉人を憶うの時に荒尾を得たのであるから、この人は天が下せし偉人その人ならんと信ぜし位に、敬慕して居った。彼の事業は皆その至誠より発し、天下の安危を以って独り自ら任じ、日夜孜々としてその心身を労し、多大の困難辛苦を嘗め、益々その志を励まし、その信ずる道を楽しみ、毫も一身一家の私事を顧みず、全力を傾倒して東方大局のため蓋くせし報公献身の精紳に至っては、実に敬服の外なく、感謝に堪へざる所であって、世の功名利慾を主とし、区々たる小得喪に齷齪(あくせく)する輩と、全くその選を異にし、誠に偉人の器を具え大西郷以後の人傑たるを失わなかった。 彼の徳望、識見、容貌、何れも偉人の風格を存し、凛乎たる威風の裡に、一種云う可からざる柔和にして、かつよく人を安んじ、人を魅するの魔力を持って居った。この人ならば必然東亜の大計を定め、醇乎としてその主義を世界に普及し、頗る後世を益するの鴻業を成し遂げ得ぺしと信じて居った。然るに絶大の抱負経綸を有し、徳望識見共に超凡絶群なるこの人にして、中途に逝去せんとは、実に思い設けざる所であった。彼の死するや、根津は余に書を送り、この時においてこの英傑を奪い去るとは、天は何の意ぞと、非常に痛恨の意を洩したが、余も畢生の恨事として真に同情に堪えなかった。余荒尾を信じ、かつ敬慕したるは、実にこの位であった。 ・・・・ 荒尾の崇敬して居った人物は、三代頃の人物では夏の禹王抔を慕い、日本では南洲を敬慕して居った。
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