頭川の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/19 15:10 UTC 版)
頭川を含む国吉地域は城址が多く伝えられるが、いつ頃、誰がいたかなどは研究されていない。埋蔵金や大蛇、塩売商人が神罰で石になったなど、一見無関係そうな伝説や地名などの民俗学の観点から様々な推測がなされているに留まっている。頭川神社の場所も城址と推測され、地理的に加賀国と越中国の境を縦断する宝達丘陵の一部である。 古代越中の主である姉倉姫と能登地方の主である能登姫の戦にまつわる神話を、古代の能登、加賀からの侵略に対する防衛戦争を表しているとする説を挙げると、国吉の城址は築城ラッシュであった南北朝時代より遥か昔に、もとになる簡単な城や砦が築かれていたと考えられる。また、国吉は二上山にあった守山城の砦や支城を築くには適所であった。頭川神社はそうした砦や支城の城主、城主一族の氏神を祀ったものである可能性もある。
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