領域と市民権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 13:53 UTC 版)
バルト・ドイツ人の定住パターン、領域とされていたバルト地域は以下の通りである。 エストラント(Estland)現エストニアの北半分。主な都市はレヴァル(現タリン)、ナルヴァ、ヴェーセンベルク(現ラクヴェレ)、ヴァイセンシュタイン(現パイデ)、ハプサル(現ハープサル)。 リーフラント (Livland)現エストニアの南半分とヴィドゼメの北東部地方、リヴォニア。主な都市はリガ、ヴェンデン(現ツェーシス)、ヴォルマル(現ヴァルミエラ)、ヴァルク(現ヴァルガおよびヴァルカ)、ドルパト(現タルトゥ)、ペルナウ(現パルヌ)、フェリン(現ヴィリャンディ) クールラント (Kurland)、現ラトビア(クールラントとゼムガレ)の西半分。主な都市は、ミタウ(現イェルガヴァ)、ヴィンダウ(現ヴェンツピルス)、リバウ(現リエパーヤ) 東プロイセンのドイツ民族は文化、言語などの類似性からバルト・ドイツ人と分類されることもある。しかし1871年以降、東プロイセンは新しく成立したドイツ帝国の一部となり、ドイツ国籍となっていたため、バルト・ドイツ人に含まれない。一方、バルト・ドイツ人は1918年まではロシア帝国国籍で、1918年から1939年まではエストニアとラトビアの国籍を保持した。
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