音楽的傾向
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リベラーチェの音楽的傾向はクラシックからポップス、ジャズまで幅広かったが、全体としてはアメリカの一般大衆に受け入れやすい通俗的なセミクラシック、ムード音楽、イージーリスニング系のピアニストというのが実態である。 上記のように、その才能と技術はクラシックの専門家から高い評価を受けていたが、派手な衣装とステージ、そしてこのような大衆迎合的な音楽的傾向から一般のインテリ層からの評価は低かった。
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音楽的傾向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 09:50 UTC 版)
前述のとおり、1970年代までに活躍した音楽家たちは、それぞれの国の民族音楽を基礎にして社会的な主張を歌詞に込めたり、斬新なメロディーや和音を取り入れる傾向が強かった。そのため、ヌエバ・カンシオンは実質的にはラテンアメリカ各国の民族音楽であるフォルクローレの一部として取り扱われている。また、この運動が大きく盛り上がったチリでは、隣国ボリビアのアンデス音楽(日本で、狭い意味でフォルクローレと言ったときに指す音楽)の音楽性や楽器を大幅に取り込んでいる。 一方で、軍政下に国内で台頭した音楽家たちは、国内において大衆的人気を勝ち取るために、ロックなど商業音楽として人気のある音楽から出発した例が多い。その典型的な例は、ロック歌手として出発して、マルビナス戦争後に反戦歌「ただ神に祈ること (Solo le pido a dios)」を大ヒットさせたアルゼンチンのレオン・ヒエコであろう。ただし、これは民族音楽の要素をどの程度色濃く盛り込むかという程度の差であって、民族音楽の要素がまったく排除されているというわけではない。また、軍政が終わって20年前後を経過して、両者の相互交流や融合が進んでおり、両者の差はそう大きなものではなくなった。
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