露清銀行の再現まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:30 UTC 版)
ロシア連邦は、成立してすぐにゴスバンクの国内支店から中央銀行を設立した。1990年10月、この中央銀行はロシア開発銀行に国家債務を背負わせて再編成した。これがVTBである。2001年末、VTBは国内銀行で資本金が第二位、BIS規制上のティア1資産(Tier 1 capital)保有高で首位となった。発足から同時点まで、VTB は33支店と4系列銀行を従える完全な商業銀行であり、貿易業務はVTBのバランスシートに8%を占めるだけであった。ロシア財政危機を生き残れたのは、国内大手同様に預金を政府が保証したからであった。しかしこの2001年末にプーチンのクレムリンが、VTBを経済成長の障害であるとしてさらに統制しようと改革案を示した。VTB株の40%を国有化して、およそ20%を3億ドルで欧州復興開発銀行に引受けさせる。これには中央銀行が反発した。2002年遅くまで駆け引きが続き、プーチンが競り勝った。中央銀行はVTBを政府へ譲渡し、対価として13億ドル相当の財務省証券とロシア開発銀行が保有していた3.5億ドル相当の社債を受け取った。 VTB は2004年に経営破たんしたグタ銀行(Guta Bank)を買収し、(2005年にミハイル・ザドルノフが)VTB24というリテールバンクに再生した。翌2005年ゴスバンクの国際ビジネスを次々と吸収した。まずはサンクトペテルブルクのPSB(Promstroybank)を買収した。ナロードニキ銀行も吸収した(VTB Capital)。VTB はロシアの銀行で初めて中国での営業許可を得て支店を出した。2007年VTB はモスクワとロンドンで株式公開することで、22.5%の株式を売却し80億ドルを調達した。 ナロードニキを買収した2005年をさらに書くと、フランクフルトの東西銀行(Ost-West Handelsbank)を買収し、ルクセンブルクの東西統合銀行(East-West United Bank)も傘下においている。さらにドナウ銀行(Donau Bank)を完全支配したが、同行は1974年にゴスバンクと専門銀行が設立していた。VTB は2005-2006年に資本金を倍増、二割超の増収を達成した。銀行法や独禁法に服さない国策会社であったが、2007年に国会で開発銀行法が成立して法的根拠を得た。
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