雁皮紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/12 13:57 UTC 版)
斐紙(ひし)と呼ばれていた雁皮紙(がんぴし)は、特にその薄様が平安時代に貴族の女性達に好んで用いられ、「薄様」が通り名となっていた。さらに平安末期には美紙と呼ばれるようになっている。男性的な楮の穀紙や奉書紙に対して、肌合いが優しくきめの細かい雁皮紙は、詠草(えいそう)料紙(りょうし)として愛用された。平安末期には、取り扱いが難しく手間のかかる麻紙(まし)が作られなくなり、楮の穀紙や雁皮紙にとって代わられ、雁皮紙も特に薄様が主流となっていた。この雁皮紙が鳥の子と称されるようになるのは、南北朝時代頃からである。 足代弘訓の『雑事記』(嘉暦3年(1328年)頃に成立)に「鳥の子色紙に法華経を書写した」との記述があり、『愚管記』の延文元年(1356年)の条に、「料紙鳥子」とあり、さらに後崇光院の『看聞日記』永享7年(1431年)の条にも「料紙鳥子」の文字が見える。 平安の女性的貴族文化の時代から、中世の男性的武士社会にはいって、厚用の雁皮紙(がんぴし)が多くなり、薄様に対してこれを鳥の子紙と呼んだ。鎌倉末期から鳥の子の名称が一般化し、近世に入ると雁皮紙(がんぴし)はすべて鳥の子紙と呼ぶようになった。
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