降下後、(元)華族、民間人として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 01:13 UTC 版)
「梨本徳彦」の記事における「降下後、(元)華族、民間人として」の解説
1945年(昭和20年)4月22日、久邇宮朝融王第一女子の正子女王と結婚する。同年8月の終戦時は海軍大尉であった。戦後は松下電器産業・東京丸物(パルコの前身)などに勤務し、松下電器時代にはニュース映画で「はたらく貴族」と題して紹介された。ただし旧皇族の肩書きを利用されることもあって不快だったという。 1966年(昭和41年)に、夫婦揃って梨本宮守正王妃であった梨本伊都子の依頼で、同家の養子となって祭祀を継承する。姪夫婦が梨本家の後継者となったことに、香淳皇后は大変喜んだという。しかし、妻の正子とは1980年(昭和55年)に調停離婚した。その後、同居していた愛人も病で倒れ、独り暮らしとなる。 晩年には自らのお印に由来する「鳳凰会」の総裁となったが、金銭管理に関わるトラブルに巻き込まれていた。世間知らずで、名義を貸した団体の詐欺疑惑に巻き込まれることもあった。 2002年(平成14年)、皇室の遠縁とされる神林隆夫を養子に迎える。この人物について、「元山伏」「皇室とは縁もゆかりもない」と報じた記事もある。 2007年(平成19年)2月7日、死去。84歳没。
※この「降下後、(元)華族、民間人として」の解説は、「梨本徳彦」の解説の一部です。
「降下後、(元)華族、民間人として」を含む「梨本徳彦」の記事については、「梨本徳彦」の概要を参照ください。
- 降下後、華族、民間人としてのページへのリンク